026/捕獲

今は目の前の戦に集中する。幼い殿下はその事の多い夜の中、自らの身体から震えを追い払ってナルサスとダリューン、カナタを部屋へ集めた。最もダリューンに関しては殿下が声を掛ける前に部屋を訪れていたのだが。国境を突破してペシャワール目指して攻めてくる敵軍について、アルスラーンは軍師二人に相談をもちかけた。

「ご心配なく、殿下。わが軍が勝つというより、シンドゥラ軍が敗れるべき三つの理由がございます」
「それは?」

アルスラーンはその瞳を輝かせてナルサスとカナタを交互に見た。殿下が常々師弟を軍師として上下に評価しないのは、それもまた王としての優れた度量なのかもしれない。

「ダリューンさまは、絹の国にいたときに、かの国で戦うにあたって注意すべき三つの理とは何かを、耳にしたことがございましょう」
「ああ。天の時、地の利、人の和のことだな」
「左様でございます。殿下、このたびのシンドゥラ軍は、その三つの理を全て犯しております」
「まず『天の時』についてですが―――」

ナルサスが説明する様子を殿下は食い入るように見つめた。その説明は説得力と具体性に富み、王宮にいたときに学んだどんな軍略や用兵よりも興味深かった。

「私ども、殿下のためにシンドゥラ軍を打ち破り、ついでにこの二、三年ほどは東方国境を安泰にしてみせましょう」

平然としてナルサスとカナタが一礼した。


「こんなに多くの味方の兵がいるのは初めてですね。キシュワードさまが指揮を取っていると、兵は忙しく動いているのに少しも混乱する様子を見せません」
「本来、よく訓練し統率された兵とはこういうものだ。まぁ、やはりキシュワード殿はパルスの万騎長としての経験を積んでいるし、その視野も広いお方だからこそというのもある」
「万騎長にもそれぞれやり方があるのですね。落ち着いたらゆっくりとお話を伺ってみたいものです」

兵たちが一糸乱れぬ足取りで動き回る中、ナルサスとカナタはその様子を見て小声で会話を交わした。そうしてダリューンに、ラジェンドラ王子を生かしたまま捕らえよと伝え、キシュワードに五百ほどの騎兵とこの土地に詳しい案内人を借りたいと申し出、ナルサスがその案内人と打ち合わせをしている間に、カナタはファランギースとギーヴの元を訪れて殿下の護衛を依頼する。
全ての手配を済ませると二人は殿下の元を訪れて、此度の戦における様々の事情を説明し、それまでの手配に関する承諾を求めた。

「ナルサスとカナタが決めてくれたことなら、私に異存はない。いちいち許可など求めなくてもよい」
「殿下、策を立てるのは私とカナタの役目でございますが、判断と決定は殿下のご責任。ご面倒でも、今後ともいちいち許可をいただきにまいります」

ナルサスがそう笑いかけると、殿下も安堵した表情でわかったと答える。

「しかし今夜のこと、城門を出たら、二人とダリューンのやりやすいようにやってくれ」

その返答を得るやいなや、二人は今度はエラムを呼んで、彼にやってほしいことを説明した。

「なるほど、ここに書いてあるシンドゥラ語を叫んで敵を動揺させるのですね」
「エラム、ここにパルス文字で読み方を書いておいたの。蛍光物質を混ぜた塗料だから、暗闇でも読めると思う」
「カナタさま、パルス文字上達しましたね。ちゃんと読めます」

いたずらに笑みを浮かべるエラムだったが、しかしカナタはその点において彼に頭が上がらないのであった。

「そりゃ…あれだけ猛特訓したら少しはね」

カナタはこの世界に来たときにパルス語を話すことも読むこともできたが、ただ一つ書くという点については一から覚える必要があった。ナルサスとエラムに必死に教わってどうにか書けるようになったのだ。最初の頃、独創的な文字を書いては二人に笑われたのを今でも鮮明に覚えていた。

ナルサスは二人がそんなやりとりをしている間、また馬を走らせて今度はあらためてギーヴとファランギースの元を訪れた。そうしてバフマンの動向に注意してほしいことを告げ、あの老人が秘密を漏らしてしまったからには、その全てを語るまで生きていてもらわねばならぬと、城壁での出来事を苦々しく思い出しながらそう加えた。

二人が城門前の広場に辿り着く頃には、すでにダリューンは五百の騎兵をそろえていた。


シンドゥラの王位継承候補であるラジェンドラを捕らえるのは、結局のところ彼らにとって何の意外性もなく終わった。前方から来る敵に怯み、後方から来る実際には存在しない敵を信じ込まされ、間抜けなラジェンドラ王子の挙動によって、あっという間に敵国の王子はペシャワール城へ丁重に縛り上げられて招かれた。

「いやあ、まいったまいった。見事にしてやられたわ」

大声を上げて陽気に笑うラジェンドラは、表情にも声にも悪びれた様子はなく、縄で縛り上げられていることを除けば、一国の王子らしい堂々とした振る舞いを見せた。

「ラジェンドラ王子、私はパルスの王太子アルスラーンです。いささか乱暴でしたが、お話したいことがあって、このようにご招待いたしました」
「俺はシンドゥラ国の王子で、時期国王だ。話があるというなら、この縄をほどき、王族としての礼遇をせよ。そのあとで、改めて話を聞こう」
「ごもっともです。すぐにほどきます」

アルスラーンは自ら縄を解こうとしたが、その場でナルサスに目配せされたダリューンが、一礼をしてからその長剣を抜いた。そこに敵意がないかと問われると、明らかにあった。しかしラジェンドラを震え上がらせはしたものの、ダリューンは彼の纏う絹服には少しも傷をつけずにその縄を見事に断ち切った。

殿下がラジェンドラに申し出たのは、攻守同盟を結びたいということだった。ラジェンドラは最初こそそれを快諾する様子を見せなかった。
しかしアルスラーンの紳士的ながらもそれを拒むことをさせぬような物言いと、ナルサスの拒むのであればガーデーヴィに鎖をつけて引き渡すという脅しと、そこに即座に投げられる奴隷用の鎖、そうしてとどめを刺すかのように既に盟約を結んだという事実がアルスラーンの部下によってシンドゥラ国に伝えられ、更には国都ウライユールへ進撃を開始した、という情報までもがそこに上乗せされているということを知り、数分後には為す術もなく、盟約を結ぶと言わされていた。
兎にも角にも盟約は結ばれたので、一同はラジェンドラを捕虜から賓客という待遇に変えた。もちろん午後の祝宴までは一切の自由も許されず、丁重に一室に閉じ込められていたのだが。