009/信頼

「なんだ?」

シャガードの後方にいた海賊たちが次々に悲鳴を上げて倒れてゆく。小高く丘になっているそこに、黒い騎馬の影がいくつも見え、シャガードは目を疑った。ゾット族を引き連れたナルサスが、得意げな笑みを浮かべて彼を見ていたのだ。

「ゾット族が、何故ここに。奴らの活動地域は内陸ではないのか」
「ようやく本性を現したようだな、我が旧友よ。こうなっては釈明できまい」
「ナルサス!あいつをやっつければいいんだね、合図をしておくれよ!」

アルフリードが夜を切り裂くような声でそう言うと、ゾット族の雄々しい叫びがそこら中にこだました。ナルサスが突撃の合図を出せば、ゾット族に比べて陸上での戦闘に慣れていない海賊たちは、みるみるうちに薙ぎ倒されていった。ナルサスは混戦の中を一気に門の下へ駆けつけ、頭上に声を上げた。

「エラム!よくぞ敵の注意を引きつけてくれた!」
「ナルサスさま!カナタさまが…」

エラムは歓喜の声を上げ、策を講じたナルサスに敬愛の視線を投げかけた。そして優秀な待童はその師に向かって姉弟子が捕らえられていることを伝えようと試みるが、ナルサスはカナタという名をエラムが口にした時点でそれを制止するかのように頷いた。既に目星をつけていることを悟ったエラムは同じく一つ頷き、大人しく引き下がる。

街の方方に散った海賊たちも、グラーゼやジャスワント、ファランギースとギーヴ、それに鼓舞されたギランの民によって徐々に殲滅されていった。王太子アルスラーンの名を聞いて拳を上げた民たちから逃れるのは、ただでさえギランの街に慣れていない海賊たちには困難極まるものであった。

「おのれナルサス、謀ったな」
「それはお互いさまよ。お前が策を講じるように、俺もまた、お前の裏をかいたまでだ。海賊が吐いた宝の島の情報など、端から嘘だと見抜いていた。お前は自分の策に酔い、溺れたのだ」
「昔からお前はそうだ。そうやって人をあげつらう、忌々しい奴め」

もはや完全に決したと思われる数まで追い詰められ、シャガードは苦々しくその言葉を吐いた。

「矢を放て!ナルサスを射殺せ!」

悪あがきなどではない、ここに来てまだ旧友を亡き者にしようと本気で企むシャガードに、ナルサスは怒りを通り越して本来そこにあるはずのない哀れみを感じてすらいた。しかし目の前の相手に容赦は無用、と言わんばかりに、弓を構えた海賊のところへ一本の槍が飛来し、彼らをまとめてなぎ倒した。

「ナルサスよ。旧友に命を狙われるとは、嘆かわしいことだ」

お互いに視線を交わし、ナルサスは己の内面を見透かされたようで苦笑いを浮かべた。ダリューンが現れたとなると、シャガードはその姿を見るなり一目散に港へ駆け出していた。もはやここに留まったとして彼の勝機はない。そう悟って逃走するつもりの彼を、ナルサスはぴったりと付いて追いかける。港に用意されていた船に慌ただしく乗り込んだシャガードと海賊たちの後を追って、自身も数人の兵を率いその船に飛び乗った。

道中ダリューンが敵を蹴散らしている間にも、ナルサスは密かにこの件だけは自分の手で終わらせねばならぬ、と感じていた。彼の予想が正しければ、最終的に脱出を試みるであろうこの船に、カナタがいるはずだった。

船上で向かい合った二人は、互いを旧友ではなく敵と認めている。

「シャガード、聡明な男だと思っていたが、私欲にとらわれ海賊の黒幕になっていたとはな。嘆かわしいことだ」
「殺せ」

掛け声とともに殺気を纏った海賊たちが襲いかかる。直後に二人も長剣を抜き、助走をつけて激しく剣撃を交わした。まさか再会した旧友とこのような形で剣を交えることになろうとは、一体誰が想像しただろうか。

「ナルサス、いつから気付いていた」
「ペラギウスを解任した後にな。一介の商人が、随分と本音を晒したものだな。昔通り聡明ならば、ああは言わなかっただろうて。それにおぬしがカナタと接触している理由が、どうやら途中から変わったように見えた」
「覗き見とは趣味が悪いな、ナルサス。貴様のように食えない男は、ずっと隠遁していればよかったのだ。何故いま、姿を現した」
「最初は気まぐれであったかもしれん。しかし今は、確固たる意思を持って、アルスラーン殿下に仕えている」
「あの小僧の何がそれほどまでに」
「人を見る目が随分と衰えたようだな。そんなことが分からんようでは、どのみちおぬしの行く先には、光明はなかったであろうよ」
「知ったふうな口を!」

剣と剣がぶつかり合う音がやけに耳に残る。ナルサスは手加減こそしていなかったが、ここでシャガードにとどめを刺すわけにはいかなかった。港からはグラーゼの船がダリューンを乗せてここに向かっているはずだ。恐らくそれが到着したときが、本当に彼に刃を浴びせるときになるだろう、そう確信していた。

「シャガードさま!船が!」
「ぐんぐん追いついてきやがる!」

予定通りにダリューンらの援軍が到着し、シャガードはその顔を更に歪めた。そうして船の上に置いてあった木箱に手をかけると、ナルサスに向けて不敵な笑みを浮かべた。このタイミングで彼が、大人が一人は入りそうなその大きさの木箱の蓋を開ける。

つまりそこにカナタはいる。
ナルサスはいくら予想の範疇だったとはいえ、どうしようもなく全身から噴き出す嫌な汗が背中や膝の裏を伝っていくのを感じずにはいられなかった。

「ナルサス…そこから一歩も動くな。動けばこの娘がどうなるかは保障できんぞ」
「やはりカナタをさらったのは、お前だったのだな」
「ほとんど気まぐれのようなものだったが…お前の『可愛い弟子』だったという素性を調べておいてよかった。まさか役に立つときが来るとはな。カナタ殿、俺と一緒にこちらに来てもらおう」

木箱の中で小さく体を折りたたんでどれくらい経っているのだろうか。ぐったりと重そうな体を無理矢理に引き上げられ、カナタは緩慢な動きで瞳を開けた。両手は後ろに回して縄で縛られ、口には布を巻き付けられている。シャガードの前に立たされた彼女は何かを必死に訴えるような素振りを見せたが、当然声にはならない。

「どうだ。昔の犀利さを失ったお前に手は出せまい」
「人質を盾に取るとは、地どころか奈落に落ちたか、シャガード!」
「何とでも言えばいい。剣を捨てて両手を上げろ」

絶体絶命のピンチに陥りそうなナルサスの姿を見てカナタは思い切りその身を捻った。シャガードは彼女の体をよりきつく拘束するように抱きとめ、彼の旧友に見せつけるように耳元で低く囁いた。

「おっと、カナタ殿。貴女は本当に勇敢な女性だな、しかし今しばらく大人しくしていてください。その顔に傷を付けて価値を下げるようなことはしたくありません」

その場で意味のない抵抗をしてみせるカナタにナルサスは疑問を感じた。今のは恐らく、シャガードの意識を引きつけるための工作だ。何かサインを発しているに違いないとカナタの足元を見ると、そこには光を受けて輝く剣の破片が落ちていた。破片はやや血に塗れている。

そういうことか、とナルサスは内心で笑みを浮かべた。木箱から人質として取り出されたカナタの瞳は、彼に向かって大丈夫だと語りかけている。そう確信して剣を捨てて両手を挙げた。カラン、と金属が虚しく落ちる音がして、シャガードの顔が邪悪で満足気な表情に変わる。

「シャガード、それは俺の大切な教え子だ。俺の命をどうするのも自由だが、カナタだけは助けてくれぬか」
「誰がおぬしの頼みなど聞くものか。まぁ、この娘のことは一生傍に置いてやってもいいぞ、ただし俺の奴隷としてな」
「おぬしは知らぬだろうが、それは奴隷にするには惜しい女だ。学院時代はあれほど色男だと持て囃されたのに、女を見る目までなくしてしまったのか」
「この期に及んで思い出話か。天下の軍師殿が最期に吐く言葉にしては、随分未練がましいではないか」
「カナタさえいればパルス国は繁栄に導かれぬほうがどうかしている。その娘はこれからも自分自身で道を切り開いてゆけるのだ。己の道を開拓し、国を作り変えることのできる人間を奴隷にするなど愚の骨頂だな。おぬしの目にはただの石に見えているそれが、巨大な原石の塊だというのが分からぬとは…全く嘆かわしい」

人質を取られ、圧倒的に弱い立場に立っているはずのナルサスは、いつもと変わらずシャガードを翻弄するような物言いをしてみせる。そうなるとシャガードの方はただただ頭に血が上っていくようで、旧友の言葉の意図を推測するための冷静さはとうに欠いているようだった。

「…ナルサス、何が言いたい!」
「その娘を人質に取ったのが、おぬしの運の尽きということだ!カナタ!」

名前を呼ばれるや否や、カナタは背後で縛られていたはずの縄を引きちぎり、シャガードの腹部に痛烈な肘打ちをお見舞いした。その右手はやや血で濡れている。意識を失う中咄嗟に拾った剣の破片で、木箱の中にいる間に少しずつ縄紐の繊維を断ち切っていたのであった。シャガードはこらえ切れず後ずさり、鳩尾を抑えた。カナタは遠方から飛来する頼もしい空の戦士の姿を認め、彼に向かって呼びかける。

「アズライール!」

カナタにそう言われるが早いか、アズライールはシャガードの顔面にその鋭い爪を立てた。ナルサスはすかさず先程落とした剣を拾うと、シャガードの胸元に斬りかかる。傷を負ったシャガードはその場で倒れ込み、船上での旧友同士の闘いに決着がついた。