008/不在

「カナタが昨日の夜から戻っていない?」
「はい、殿下。見張りの兵に聞いても、昨日ここを出てからカナタさまの姿を見かけた者もおらず、海賊たちを捕らえた後に街へ調べ物に行ったところまではナルサスさまがご存知だというのですが」
「そうか、分かった。すぐに兵を出して街中を捜索するよう手配しよう」
「ありがとうございます。何か危険なことに巻き込まれてないといいですけど…」
「ところでエラム、ナルサスはどこへ行ったのだ?」
「街の方に気になることがあると、朝早くに出かけていきました」

カナタの不在に一同は不安な気持ちを募らせつつも、一先ずは兵に捜索をさせるという殿下の方針に沿った。海賊を捕らえ、不正に溜め込んでいた金を民に還元したとはいえ、ギランの街にはまだまだ整えねばならない基盤が山ほどあった。

「…ここか」

ナルサスが単独目指したのは、昨日シャガードとカナタが訪れていた武器商人の店であった。もう開店していてもおかしくない時間だが、店の前に何の報せも出さず、その扉は閉ざされている。そして店の前の路地に入ると、道の隅に小さく光る破片が散らばっているのが目に入った。ガラスや陶器ではない、明らかに剣の破片である。血のついていないそれは刃こぼれした様子もなく、まだ真新しい。
彼はその足で周辺の露店を訪れると、昨日とある島について尋ね回っていたものがいなかったという質問と、カナタの特徴とを彼らに伝えた。その動向はやはり武器商人の店にて途絶えているようであった。

ここまで確かめて、カナタが何かに巻き込まれたことは明らかであった。しかしその身は高い確率で無事だろうともナルサスは踏んでいる。その身を攫った誰かにとって、ここで彼女を亡きものにしたとしても何にもならないだろう。どこかで捕らわれ生きている彼女の居場所をどう炙り出すか。王太子府に戻る道すがらひたすらに策を巡らせてみるのだった。

「ナルサス?あんた、ナルサスじゃないかい?」
「アルフリード。お前、こんなところで何をしているのだ」
「それはこっちの台詞。あたしは、親父の訃報をゾット族のみんなに伝えにこっちに来て、しばらくこの辺りの山岳で暮らしてたのさ。今日は久々に買い出し。そうだ、カナタは元気?」

ひょんなところで出会ったにもかかわらず、相変わらず自分のペースで会話をしてくるアルフリードに、ナルサスは多くを語らなかった。とにかく今はギランをアルスラーン王太子が治めているという話をし、カナタについては行方をくらましているということだけ簡潔に話した。アルフリードは案の定驚きの声をあげ、何か自分にもできることがあれば手伝わせてくれと申し出る。

「今は兵が捜索をしている最中でな、何かしてもらうと言ってもこれといったものがない」
「カナタはあたしの命の恩人なんだ!お願いだから何か手伝わせとくれよ」
「…そうか。ではゾット族のアルフリードよ、一つ頼まれてはくれぬか」
「任しといて!」

ナルサスはゾット族の少女に、くれぐれも内密に、と前置きをしてとあることを頼む。頼まれた少女はそれは嬉しそうに首を縦に振り、一目散に仲間の元へと戻っていくのであった。

王太子府に戻るや否や、見張りの兵からアルスラーン殿下より召集がかかっているという情報を聞き、ナルサスは急ぎ殿下の元へ駆けつけた。そこには既に揃って話をしている六人の姿があった。

「ほう、海賊の秘宝とな」
「捕らえた海賊の惣領を問い詰めたところ色々話を始めてな。その中に、この近くのサフディー島という島に、大海賊アハーバックの財宝が隠されているという話があったのだ」
「ダリューンさまが聞いたところによると、その価値は金貨一億枚にもくだらないとか」
「金貨一億枚とは景気がいい。軍資金として、是非とも手に入れたいものだ」
「おぬし、一億枚もあれば多少手を付けても分からぬと思っておるじゃろう。精霊共がそう申しておる」
「どうしますか、殿下。グラーゼ殿が船を出すと申し出てくれています」
「そうだな…カナタがいないときに動くのは少々気が引けるが、海賊の財宝か…」
「殿下、ここは是非とも向かうべきです。我々がここに来た目的をお忘れですか。カナタはあれでも百騎長です。自分の身を守るのはもちろん、いざとなれば策を講じて何とかするでしょう。ご心配には及びません」

内心ナルサスは無理をしているのではと一同は思わざるを得なかったが、不思議と彼の口調にも表情にも動揺や心配という類のものは見られなかった。それどころか地図を取り出しては島に着いた後に宝をどう探すかなど相談し始める。海賊の秘宝という言葉を口々にしながら、一行は島への探索に向けて気持ちを高めていた。
ナルサスにはその時既に、王太子府の内部に侵入している黒幕の姿がはっきりと見えていた。いくつか思うところもあったのだが、それは出発の前密かに一同に知らされることとなる。


エラムとアルスラーンを除いた五人は、急いで島に行く準備を整え、ギランの港を発つことになった。

「ではエラム、いってくる」
「はい、ナルサスさま。…私だけでも、やるべきことは分かります。ご安心ください」

ナルサスはその言葉に頼もしいことだと笑みを浮かべ、船に乗り込んだ。

そうしてその日の夜。闇夜に紛れて、ギランの街中に馬蹄が轟いた。港には何隻も小舟が集まり、そこから続々と海賊たちが上陸しては、その馬蹄の終着地点に集まる。最後にやや大きな海賊船が港に着き、岸に降りてきた者たちが集いきると、馬に乗った人物が高らかに声を上げた。シャガードである。

「王太子自慢の家臣どもは、ありもしない宝を探すため、無人島に出かけていった。手薄になった王太子府はこれより、我々が占拠する。晴れてこの街は元通り、我らのものだ!」

右手が掲げられると、海賊たちがそれに応じるように轟々とした声を上げてみせた。海賊たちは一同王太子府へ向かい、道中で捕らえられた仲間を解放すると、街にいる兵たちと交戦しながらあっという間に王太子府の門前までたどり着いていた。城に残ったアルスラーンは、落ち着いた素振りで兵たちに指示を出し、その役割をしっかりと果たしてみせる。

一方、外壁の上で弓兵とともに敵を待っていたエラムは、海賊たちが射程距離に入るやいなや声を張り上げて合図を出した。そうして一通り矢の応酬が終わると、彼の目の中には馬上で不敵な笑みを浮かべる、ここ数日で見慣れた人物が飛び込んできた。

「無駄な抵抗だ。ただちに門を開けろ!」
「シャガードさま、この街の裏で糸を引いていたのは、あなただったのか!」
「そうだ。ここは長い間、俺の裁量で成り立っていた街だ。小僧の兵力の補充のために駐屯するだと?今更認められんな。あの娘だけをいただいて、俺は今一度ギランに平穏を取り戻す」
「娘とは…もしや、カナタさまを攫ったのは」
「安心しろ小僧、ナルサスのような空想家に仕えているよりも彼女のことはずっと幸せにしてやるさ。王太子殿下には、名誉の戦死をしていただく。ギランの総督は、話のわかる人間にしか務められんのだよ」

目の前にいるナルサスの旧友が放つ一言一言に、エラムは自分本位な意思しか感じず奥歯を噛み締めた。

「とてもナルサスさまの旧友とは思えない」
「ふん、ナルサスは利口に見えて阿呆だ。奴は、人間に生まれつき格差があることを認めようとしない。その程度のこともわからんで、何が知恵者か」
「シャガードさま、貴方はナルサスさまに嫉妬していらっしゃるのでしょう」
「何だと」
「力ずくでカナタさまの存在をどうにかしようなどと考えて何を威張ってるのか。到底私の理解の及ぶところではありません!」
「俺が奴を?むしろがっかりしているのは、こちらのほうだ」

そうしている間にも海賊たちは門の扉に丸太を打ち付け、今にもそれを破ろうとしていた。激しい音が鳴り響く度に軋みを見せる門の前で、兵士たちは恐怖を感じて後ずさりしている。
エラムは待った。額に汗を浮かべながらも取り乱さず、その様子を冷静に見極めていた。そうして夜空に一つ、飛来する小さな影を認めると、彼は自分の行動に間違いはなかったとようやく息を吐き出した。