最強マルダーン計画 7

翌朝は雲ひとつない快晴であった。早朝から王城の厨房の一つを占領していたミレイは、ダリューンとの約束の時間にピッタリ合うように重箱に料理を詰め、待ち合わせの場所へと向かう。

王城の入り口へと向かえばダリューンはそこにいた。彼は愛馬である黒影号の毛並みを整えながらミレイのことを待っていた。両の腕に溢れんばかりの昼食の用意をしてきたミレイを見つけると、ダリューンの切れ長の瞳が優しく緩められ、彼女から重箱を受け取って馬に乗せた。さすがにいくつかは乗り切らず、近くにいた兵士に「ナルサスのところへ持っていってくれ」と付け加えて渡した。

「ダリューンさま、今日は遠駆けと聞いておりましたが」
「そうだ。と言っても、ほんの近くの湖までだがな」
「私にも馬を貸していただけますか?パルスの騎兵ほどではなくとも、それなりには乗りこなせます」

すっかり自分で馬に乗っていくつもりのミレイの様子にダリューンは吹き出した。昨日手合わせした時点で、恐らく彼女の身につけているという馬術も大したものなのだと彼には分かっていたが、今日はそういうために呼んだわけではなかったのだ。片腕を馬の背に掛け、もう片方の腕を、ぽかんとするミレイに差し出した。馬上へエスコートするためだ。

横すわりで馬に乗ったミレイの後ろに更にダリューンが乗る。見た目には『お姫様乗り』と言ってもよさそうな乗り方に少女は落ち着かないようで何度も座り直していたが、それがダリューンの目にはかえって危なっかしく見えたのか、彼の腕の片方がその体をしっかりと支えることになった。思えば初めて経験する密着具合だ、とミレイは思わず顔を赤らめる。

「…すぐに着く、しばらく我慢してくれ」
「いえ…ずっとこのままでも構いませぬ」

頬を染めたまま嬉しげに微笑んだ彼女に、ダリューンもまた赤面を食らってしまった。ほどなくして湖のほとりに着くと、背の低い草の茂った木のそばに黒影号を繋いで、二人は歩き出した。湖の周りには小動物の翔ける姿が見え、水面を水鳥が優雅に進んでいた。木々の隙間から落ちる日差しは火照った二人の肌にはちょうどよい具合で、少しばかり涼んだ彼らは湖畔から小さな舟に乗ることにした。

桟橋から船に乗り込むときにも、ダリューンは先に舟底に片脚をぐっと踏ん張り、小舟が動かないようにしてミレイの手を取った。普段絶対に見せないような彼の優しく自分を見つめる視線に、ミレイは思わず気恥ずかしくなり、視線を逸してしまう。

「ダリューンさま、一体今日はどうしたのですか?」
「漕ぎながら話をしよう。落ちないようにしっかり乗ってくれ、ミレイ」

腑に落ちない気持ちをそのまま表情にしながら、彼女は仕方なしに舟に乗り込み腰掛けた。対面するような形で座ったダリューンは、両の手で櫂を持って漕ぎ出す。湖面に彼らを乗せた舟だけが穏やかな波を立て、ところどころで魚が跳ねては微かな水音を二人の耳に寄せた。
ミレイは初めこそ機嫌が良いとは言い難い様子だったが、舟が次第に湖の中央に進むうち、目に入る眺めの美しさと自分たちを包み込む自然の音に惹かれていくようだった。舟のへりから手を出して冷たい水面にすぅっと直線を引く彼女の表情を見て、ダリューンは口を開く。

「よいところであろう」
「はい。王都からそんなに離れていないのに、静かで心落ち着く場所ですね」
「物心ついたときから、一人になりたいときはここまで馬を走らせた。逆に言えば俺は喧騒から逃れる方法をこれくらいしか知らぬし、娯楽というものもあまり持たん」
「ダリューンさま、どうして私をここへ?」
「おぬしとここに来たいと思ったのだ。どうしてかというのは上手く説明できんのだがな…ただ、二人で過ごしてみれば分かる気がした」

てっきり国へ帰れと言われると思っていたミレイからすれば、ダリューンがどういうつもりかということが一番知りたいことだった。しかし彼はそれを明らかにする言葉を持たないと言い、そのままゆっくりと舟で湖を一周した後は腹が減ったと言ってミレイの弁当を要求した。彼女は舟から飛び降りると、久々に自分の手料理をダリューンに食べてもらえる機会だと、昨夜のうちから張り切って作ったそれを辺り一面に拡げる。
料理の下に敷かれた大きな長方形の麻布の上に腰を下ろし、ダリューンはその相変わらずな量の弁当を見て思わず笑ってしまうのだった。今頃パルスの誇る副宰相も彼女の料理の虜になっているかもしれないと思いつつ、彼は彼で久方振りの自分好みな食事を心ゆくまで味わった。

「ダリューンさま、はい」

すかさず茶を注いで渡してくるミレイに、ダリューンは心底気の利く娘だと感心する。彼との子孫を執拗に要求してくる以外は、ミレイは良き妻としての素養を十分に持ち合わせているように思われた。子孫の部分もまあ他の男連中からすればこれくらいがいいという意見もあるかもしれんと思い直しつつ、彼女に小さく礼を言う。ダリューンが考えていることをそのまま口にすれば昇天するような勢いで喜ぶであろうミレイは、残念なことに彼の考えなど露知らず、しかし自分の作った料理がダリューンの口に運ばれていくその光景だけで極上に幸せそうなのであった。

「腹も満たされて、景色も気候もいい。言うことがないな」
「少しお休みになられますか?膝をお貸しいたしますよ」
「休んだ方がいいのはお前だな、ミレイ。昨夜ほとんど寝ずに厨房にいたというのをエラムから聞いたぞ」

ダリューンは強引にミレイの腕を取ると、そのまま自分の膝に彼女の頭が乗るように誘導した。木陰で休むのには定番の膝枕になるはずだったが、大人しく頭を預けたその体勢はダリューンから見ても体を休めるのには些か首の角度が辛そうであった。戦士であるダリューンの太腿は想像以上に鍛えられており、ミレイは何というか結構な太さの丸太に首を預けているようだと感じていた。

「すまん、さすがに無理があった。慣れないことをするものではないな」
「い、いえ!ダリューンさま、どうかこのまま!」
「しかしな…」
「せっかくダリューンさまの温もりを感じられるというのに、離れるわけにはいきませぬ!」

子種と言い出さなくとも、ミレイはダリューンとのまたとない接触の機会を逃したくない一心であった。ここまで自分に真っ直ぐと好意を向ける彼女だからこそ、ダリューンの方も無下にすることができないのだ。既にこの時、彼自身にもその認識があった。しかし、彼はやはりこのままではミレイの首にかえって負担がかかると思いその体を抱き上げると、今度は自分も彼女を抱きかかえて横になった。
一枚布を敷いてはいるがすぐ下は地面だ。ダリューンはミレイの首が自分の腕に乗るよう位置を調整してやった。突然の出来事にぱしぱしと睫毛を上下させた彼女だったが、ダリューンとより密着できる体勢になったことに文句を言うはずもなく、嬉しそうに瞳を閉じて笑った。

夕刻に王城へ戻った二人が馬から荷を下ろしている最中、その姿を見つけた一人の兵士がミレイに書簡を
届けにきた。絹の国から急な使いがあって持ち込まれたという『至急』と絹の国語で書かれたその封を切って、彼女は愕然とした。そこには祖父が危篤状態であると、短い文が記されていた。