最強マルダーン計画 6

手合わせをしたい、という言葉をそのままに受け取ったアルスラーン陛下に、ミレイははじめこそ驚いていたが、そういう場を設けてもらったからには最大限に活用するのが彼女というものだった。
ダリューンは手合わせをする際に武器を使うかどうかなどは全てミレイに任せると言う。パルスに来てからも鍛錬を欠かさず行っていた少女は一晩悩みに悩んだ。彼女の武はそれを見せびらかすためのものではなかったが、やはり強敵と対峙することに興奮を覚えぬわけでもない。ましてや好いた相手と公認の場で手合わせをすることなど、これから先にないかもしれない。

そうして迎えた翌日の朝。ミレイは朝食を十分に取り、座禅を組んでしばらくするといつも通りの鍛錬を軽めにしたものをこなした。体を十分に動かし、持てる力の全てを発揮する。彼女が武芸を学ぶときに大切にしていることの一つだった。

一方のダリューンは、彼は彼で落ち着かない心地になりながらも同じようにウォーミングアップをしていた。後のナルサスに言わせれば「似た者同士お似合いだ」ということだが、この時の彼も彼女もまた、そんな相手の挙動を知るよしもなかった。

「では、よろしくお願いいたします。ダリューンさま」

ミレイはいつもの彼女の表情よりも精悍さを増した顔で、稽古場に立った。間合いを空けて立っているダリューンもさすがパルスの誇る戦士の中の戦士だ。相手が女人だろうが年少者だろうが手加減をしないというのが彼なりの礼儀であり、それをミレイにも尽くそうというのが周囲にも伝わるほどの気迫が立ち込めていた。

「手合わせの方法は?」
「その前に二つ、ダリューンさまにお願いがございます」
「聞こうではないか」
「まず一つは本気で試合っていただきたいということ。そしてもう一つは―――」

気迫に満ちたダリューンを目の前に、ミレイは怯むどころか闘争心を増す一方であった。傍らで見ているアルスラーンもエラムも、そしてナルサスもその姿をもはや少女だと思わず、一人の手練と捉えている。それほどに彼女は堂々たる武人の佇まいをしていた。

「勝者の要望を敗者が聞き入れる。そういう条件で、三本勝負としていただきたい」
「…俺が勝ったら、おぬしに国に帰れと言うとしてもか」
「強さが全てという考えは好きません。しかし、今ここで白黒つけることが必要と…一晩考えた上の答えです。どうか」

ミレイは、はっきりとせずにいた自分を責めているわけではない。そう分かっていてもダリューンはそこに後ろめたさを感じずにはいられなかった。自分の中の半端な気持ちを見透かしてくるような真っ直ぐで迷いのない眼光に気圧されそうだと思いながら彼は一つ頷いてみせる。彼女は、使用武器は自由、打突箇所の制限のない形式で試合をお願いしたいと申し出た。

「よろしい。両者、武器を取れ。試合は俺が仕切ろう」
「ナルサス」
「全く、お前の友をやっておると何が起こるか分からんな」

肩をすくめる稀代の軍師は、一体どちらが勝つと予想しているのか―――いや、どちらが勝っても面白いと思っているような奴だ、とダリューンは口角を上げてそう結論づけた。
ミレイは模擬用の武器の中から彼女の背丈ほどの棍を手に取った。ダリューンは当然ながら使い慣れた長さの模擬剣を取る。互いに長さのある得物を構えると、その場は一時沈黙に包まれた。ナルサスの合図で、両者は一斉にぶつかり合う。

ミレイの初打はダリューンの長剣に払われる。そのまま何度か打ち合うと、強烈に力を込めた剣の突撃に耐えきれずミレイは三ガズ(約三メートル)ほど飛び退いた。壁にぶつかるかと思った彼女の軌道だったが、ひらりと身を翻し彼女は一時壁に足裏を預け、重心をそこから再度ダリューンに向けて飛び立つ。空中でしなやかに重心移動を終えたその一打にはダリューンもやや驚くが、焦りの一つも見せず巧みに攻撃を打ち流す。
息を上げずミレイの猛攻は続いた。徐々に速度の上がっていく彼女の攻めに、アルスラーンもエラムも本気で見入ってしまうほどだった。最小限の美しい軌道から放たれる隙のない攻撃は、しかしダリューンの剣に吸い込まれるようでもある。
数の攻撃に勝機を見出した訳ではない彼女だが、それでも手を緩めはしなかった。一瞬どこかに生まれる隙を探るような動きを繰り返し、そしてその一瞬をミレイは見逃さなかった。迫りくる棍を弾こうとする剣の動きにピタリと合わせて自身の力を反転させたのである。ダリューンが一瞬それにつんのめるような隙を見せると、そこにミレイの棍は容赦なく一突きを加えるための切り返しを見せた。
しかし彼の喉元を棍が射止めるかと思った次の瞬間、ミレイの腕には強い痺れが加わっていた。行方を彷徨ったかのように見えたダリューンの長剣が、彼女の手首を見事に仕留めていたのだ。

彼らは再び開始位置に下がり、次の試合を始めた。ミレイの闘争本能を増した一撃をダリューンが見事に受け止めるたび、年少者二人からは感嘆の声が漏れるほどに気迫に満ちた戦いだった。そして試合を通してお互いの生き様を見ようとしているかのような二人の表情は真剣でありつつ、喜色を満面にみなぎらせていた。

「止め!両者とも武器を退け」

二本目の決着がついたのを見て、ナルサスが試合終了を告げる。結局、その勝負でもミレイの一撃はあと一歩というところでダリューンに及ばなかった。彼女は棍を下ろし、数歩下がって礼をする。
そうして最初の一本と次の一本もダリューンが勝利したため、三本目になる前に勝敗は決した。肩で息をしながら深く頭を下げたままだったミレイは、いよいよ決意が固まったという表情でゆっくりと顔を上げる。

「ダリューンさま、ありがとうございました。本気の試合いとお願いしたこと、後悔してはおりませぬ」
「そうか。…ミレイ、おぬしは立派な武人だ。実力もそうだが、その心構えたるや良し。このパルスで騎士として過ごす身として、何も恥じることのない殊勝なものであると思う」
「ダリューンさまにそう仰っていただけたこと、何物にも勝る光栄でございます」

誇らしげで、それでもどこかに少しの心残りを感じていない訳ではないその笑顔はやはりダリューンには眩しかった。

「ではダリューン。ミレイ殿との約束は覚えておろうな。勝者が敗者に一つ言い渡さねばならぬ」
「ああ」

勝負を持ち掛けられた時から、ダリューンはこうなる結末を思い描いていた。少女は強さとは敵を倒すことではなく、己が信ずる者を守るためと心得ている自分に心惹かれたと言った。彼自身、強くなったのは最初は家のため、自分のためであったかもしれない。しかしアルスラーンと出会い、手にした強さは彼を守るためのものと心から信じることができた。しかし今ここで使った強さは、自分の欲望を満たすというもっと純粋なものであると、そう感じていた。
覚悟を決めた表情でダリューンの言葉を待っているミレイに向かって、彼もまた己の決意を伝える。

「ではミレイ。明日は湖まで一緒に遠駆けをしよう。何か外で食べられるようなものを準備しておいてくれ」

そう言い放ったダリューンの表情は、正面にいたミレイ以外にはどんなものか分からなかった。ダリューンが足早にその場を立ち去った後もしばらく彼女はそこに立ち尽くしていたが、心配して駆け付けたエラムに向けて「調理場を貸していただきたい!」と言い放つと、猪のような勢いで城下町に食材の調達に向かった。