018/魔導

カナタとアルフリード、ナルサスを乗せた馬は二頭連れ立って、岩の多い道を東へと進んでいた。

「あの仮面の男…今度会ったらかならず、あの仮面をひっぺがして、こてんぱんにしてやるんだから!」

まだあの場から去ってそう時間も経っていないのに、言葉だけは十分に元気なアルフリードの気配を背後に感じながら、カナタは手綱を握っていた。あの場で咄嗟に少女を助けに入ったのはよかった、と。そう思わせるだけの無邪気さと飾らなさがアルフリードには備わっていた。気力の限界でヒルメスに立ち向かっていたのを思い出すと、今でも腰が抜けてしまいそうになるカナタは、少なからずその奔放な言動に心を掬われていた。
一方ナルサスはと言えば、アルフリードが耳にしたという銀仮面の男の言葉が頭の片隅に引っかかっていた。自分を王侯の出身だと語っていたという事実がナルサスの頭の中を駆け巡り、一つの仮定を生み出していた。そんなことはお構いなしにナルサスの名を呼ぶゾット族の少女に、やや気怠げな瞳を向けながらナルサスは言った。

「おぬし、どこか行くあてがあるなら、適当なところでおろしてやるぞ。言ってみなさい」
「それはないだろ。あたしはカナタに助けられて、生きろって言われたんだ。ここであたしを置き去りにして、銀仮面の男に殺されたりしたら、助けてくれたカナタに恩を仇で返すことになるだろ。ゾット族の誇りを汚させないでおくれよ。カナタだってそう思うだろ?」
「確かに、ここでアルフリードを置いていくのは危険です。まだ残党がいないとも限りません、先生」
「…仕方がないな。ここからもう半日ほど進んだところに村があるはずだ。そこで馬を調達するとしよう」

カナタの言っていることはもっともだったが、それを味方されたと捉えたのか同調するアルフリードの姿を見て、ナルサスはやや面白くなさそうに同行を許可した。ただ、ナルサスの馬も、カナタとアルフリードを乗せた馬も、二頭ともが疲労の極限いるのも明らかではあった。できれば村で馬を手に入れて、そこから目的地であるペシャワール城へ向かいたいというのは本音である。

小さな村に三人がたどり着いたのは、既に日暮れ時に差し掛かるような時間だった。馬の様子を心配しながらも村に近づいていくと、その村には何か違和感があった。もう夕食の準備をする時間だというのに、その気配が全くない。しかし村が何かに襲われたような様子はなく、地面には木の棒で描かれたような円や意味の分からない記号が真新しく残されていた。小さな子どもが遊んでいたのだろう。しかしどこの窓にも火が灯っておらず、村はそのまま夕闇に飲み込まれそうな暗い雰囲気だった。

「先生、何かおかしいと思いませんか」
「そうだな。少し様子を見て回ろう」
「カナタ…あれを見て」

ふいにアルフリードがカナタの服の裾を引いた。その視線の先を見やれば、村人であろうと思しき男が、戸口の前にうつ伏していた。男の周囲に広がる血の染みが、既に息を引き取っていることを物語っていた。

「あちこち死体だらけだよ…この村の人、全部かな」
「どこの家にも生きている者はいない。これは村人を全員殺すべくして殺した、というべきだろうな」
「家の中の物や村人の持ち物はそのままにしてありますし、ルシタニア兵の仕業にしてはおかしな点が多すぎます」

しかしそこで話し合っても埒が明かない。三人はとにかく、死体のないただの空き家になった家に入り、そこで一晩を過ごすことにした。

「そうだ、助けてもらったお礼に、手料理を振る舞うよ!」
「アルフリード、料理ができるの?」
「もちろんさ。ゾット族の男たちの体を作るのは、女たちが作るうまい料理と決まってるのさ。カナタはナルサスの弟子って言ってたけど、師匠に料理を作ったりしないのかい?」
「一度だけ作ったな。材料が何か分からぬやたら固くてぬめり気のあるものを」
「ふーん、料理は得意じゃないのか。ま、女であれだけ豪胆なんだったら、料理人でも婿に取ればいいじゃないさ」

確かに料理は普段からエラムに任せっきりなので、カナタの料理の腕はからっきしだった。元の世界にいた頃には材料を切る、火を通すくらいの簡単なことはできたが、この世界の火加減をどう調節していいのか、見たこともない材料をどう調理していいのかそういったことはさっぱり分からないのだった。一度挑戦した結果が出来上がったものが、先程ナルサスの表現した通りのものであったから、その後はエラムから台所に立つことを禁じられていた。

料理はアルフリードに任せるとして、二人は馬を調達するため再び建物を出て村を散策することにした。ナルサスは道中に見た死体のほとんどが下半身に傷を追っていることに気付く。どれも必要以上に切り刻まれるわけでもなく、傷の位置もバラバラであるため、脚を執拗に狙う異常者の犯行とも思えない。死体に近づいてその周りを調べてみると、どの死体にも同じくその傍に小さな窪みができていた。

村で共同の馬小屋だったであろう建物に辿り着くと、見慣れない者の来訪に不安げに嘶く馬たちにカナタが「どうどう」と話しかけた。その掌が触れると、馬たちはすぐさま大人しくなり、カナタの頬を舐める。

「お前たちは無事だったんだね。よかった」

四頭いる馬の中で一番若くて逞しい馬だけを残し、他の馬は繋いだ紐を解いて放してやった。先程の家の外で井戸の水を汲んでいたアルフリードは、馬を引いて戻ってきた二人の姿を見つけて無邪気に手を振る。その瞬間だった。馬が歩みを止め、進むのを拒むように嘶いてぴたりと足を止めたのだ。三人はそこで確かに、地面から禍々しい気を纏って、手だけが伸びているのを見た。手はカナタの足首を掴もうとしていたが、反射的に飛び退いたカナタを掴み損ね、そのまま地面に消えていった。後には小さな窪みだけが残る。

見たものをそのまま理解できぬほどに、その光景は異様だった。

「な…なにあれ、地面から手が生えてる」

アルフリードが、起こったことをそのまま口に出す。地面から手が生えることなどない、カナタはそう自分に言い聞かせた。落ち着いて、手の先には腕があって、腕の先には胴体がある。そしてその上には首と頭が必ずあるはずだ。そこまで考えが至ったときに、ふと先日王都から持ち出した怪しげな古い書物で見かけた言葉が頭を過ぎる。

「先生…地行術です」
「ああ。まさか本物をこの目で見る日が来るとは。カナタ、意識を集中させろ」

ナルサスはそこで先程見た、下半身だけを狙われた村人の死体と、その傍に残る小さな窪みの正体を心得た。ただ、心得たところで魔道というものを使う者が何故こんな村に潜んでいるのか、混乱した頭では考えられそうもない。