014/逃走

「ダリューンさま、敵が…!」

カナタがそう言うよりも早く、銀仮面の男の剥き出しの敵意と悪意を感じ取ったのか、ダリューンは長剣を抜いていた。一度交わされた刃は、その刀身からは想像もつかないほどに激烈な音を立てた。ダリューンが攻勢に回っても、銀仮面の男が攻勢に回っても、両者ともに一歩も譲るところはない。まさか己とこのように渡り合える相手にこんなところで出会うとは、と、たがいがその存在を雄敵と見なしていた。

「カナタ、下がれ!」
「名を聞いておこうか」

銀仮面の男がひややかにそう言い放つ。当初の狙いはカナタであったはずだが、今はそれどころではないようだ。

「ダリューン」
「ダリューンだと……?こいつは傑作だ。あのヴァフリーズの甥か。どうりで……」

名前を聞いただけで突然に嘲笑の声をあげた銀仮面の男に、ダリューンはもちろんカナタもその反応の異様さを感じ取り、驚かずにはいられなかった。

「教えてやろう、貴様の伯父ヴァフリーズの白髪首を胴から切り離したのは、このおれだ」
「なに?!」
「アンドラゴラスの飼犬めが、それにふさわしい報いを受けたわ。貴様も死に様を伯父にならうか?」

銀仮面の男の挑発は、想像以上の勢いでダリューンの頭に血を上らせた。それと同時に銀仮面の男が防ぎきれぬほどの鋭い太刀を振りかざし、怪しく月の光を反射していたその仮面は斬撃により二つに割れて飛んだ。
闇夜とはいえ、男の顔が見事に二分されていることはほんの一瞬で見て取れ、ダリューンもカナタも息を飲んだ。左半分の、おおよそダリューンと同年齢であろうその綺麗な顔と、対比させるかのような右半分の赤黒く焼けただれた醜い容貌が、同じ人物の輪郭の中に収まっていることに、恐怖とも不安とも呼べぬ感情が呼び起こされる。
男は仮面を失いその顔が露出されたことに、強く憤怒と憎悪を感じているような声を上げた。そうして先程までの比にならぬほどの鋭さを持った太刀筋で、あっという間にダリューンを追い詰め、その頭蓋骨に必殺の一閃を叩き込もうとする。
しかしながら男の一撃は、横からなぎこまれてきた刀身によって阻止された。そこにナルサスの姿が見えた。

「おいおい、名前を訊いてはくれないのか。でないと、こちらから名乗るのは、気恥ずかしいではないか」
「だれだ、道化者」

銀仮面の男の鋭い敵意を物ともせず───表面上は───いつもの飄々とした口調でナルサスは応えた。

「気にくわぬ言種だが、訊かれては名乗らざるをえまいな。我が名はナルサス、次のパルス国王の世に宮廷画家を務める身だ」
「宮廷画家だと?!」
「芸術に無縁なおぬしは知るまいが、画聖マニの再来と心ある人は呼ぶ」
「誰が呼ぶか!」

そう叫んだのは、すっかり体勢を立て直したダリューンであった。先程の状態から、完全に自分の勝機が去ったことを悟った銀仮面の男は、その場を立ち去る選択肢を選ばざるを得なかった。

「勝負は後日にあずけた。今日は引き分けにしておこう」
「そうか?俺の弟子も世話になったようだし、今日できることを明日に延ばす必要はないぞ!」

ナルサスが挑発するも銀仮面の男はそれに乗らず、片腕で顔を隠しながら、捨て台詞を吐いてその場を立ち去ろうとする。

「さらばだ、へぼ画家。今度会うときまでに絵の腕をあげておけよ」

何故ナルサスのことを知らぬのにその男が的確に未来の宮廷画家の自尊心を傷つける言葉を選べたのかは誰にも分からない。怒りに任せてナルサスが前進し、男に一撃をあびせようとするも、銀仮面の男はそれを受け流しつつ身を翻した。そのまま狭い小路に入り、壁際に置いてあった桶や樽を蹴倒して追跡できぬようにすると、凄まじい速さで闇の中へ消えていった。

「奴め、誰かは知らぬがおそろしく腕がたつ。カナタ、大丈夫だったか」
「ダリューンさま、危ないところをありがとうございました…」
「あやつ、気にくわぬやつだ。俺のことをへぼ画家などとぬかしおった!芸術も文化も理解せぬ奴らが、でかいつらで横行する。末世というべきだな!」

それに関してはダリューンもカナタも何も言わなかった。
随分と暴れまわってしまい、周囲のざわめきも大きくなってきていたため、三人は再び日よけのフードを被る。どこか人目につかないところへ行って、少し情報を整理せねばなるまい。そう考えた三人は王都を少し離れ、ルシタニア兵によって荒らされた農村に向かうことにした。

「まさか腰が抜けてしまっていたとは…自分からついてきたのに、ご迷惑ばかりおかけして申し訳ございません、ダリューンさま」
「あれほどの強敵に追われる中、あの複雑な路地の中で味方を見つけられたのだ。カナタが謝ることはない」

恐怖で足腰が立たなくなってしまったことへ情けなさを感じながら、カナタは自分の馬に半ば積み荷のような形で乗せられ、その馬をダリューンに引いてもらう形でここへ辿り着いた。村に着く頃には脳を占領していた恐怖も和らいで、しっかり歩くことができるようになっていた。村に着いて一通りの散策を済ますと、カーラーンの部下から仕入れた情報として、アンドラゴラス王がどこかに幽閉されていること、そしてタハミーネ王妃がルシタニアの王に求婚されていること、その二つがカナタにも報告された。そしてナルサスはふと、気にかかっていたことを投げかけた。

「あの仮面の男、カナタを狙っていたのか?」
「どうやらそのようでした。下町の路地を逃げている最中、ダリューンさまにお会いすることができ、何とか免れましたが…。それで、先生とダリューンさまに、お伝えしておきたいことがあります」
「何だ?」

その問いかけに、カナタは口の端をきゅっと結び、深刻な声を吐き出した。

「あの銀仮面の男…私のことを『異界から来た』と言っておりました。事情は知らぬようでしたが…恐らく、それを知って私のことを狙ったのだと」

何故そんなことを知っているのか全く見当もつかないが、自分一人で抱え込むにはおおよそ重すぎるそれを、今ここでナルサスとダリューンに話しておかねばなるまいとカナタは思っていた。もう一つ気がかりなのは男の名乗った名前のことだったが、それをここで口にすることは何かよからぬ気がしてカナタは口を噤んだ。旅に出る前に王家の家系図で見たその名前と、無関係であることを願いながら。
どこから仕入れたか分からぬがカナタが異界から来たということを嗅ぎつけて命を狙っている、得体のしれぬ、強大な強さを持った銀仮面の男の存在について───三人で語り合ったところで、そこに何一つとして結論が出るはずもなかった。