023/合流

アルフリードが去った後、左脚に巻かれた包帯が真っ赤に染まっているのをエラムが見つけたときには、カナタの顔は再び青ざめていた。先程よりも体をぐったりとさせていて、ナルサスに身を預けて馬に跨っているのもやっとという状態である。傷が開いて血を失ったのだろう。
エラムはすぐさま自分の腰袋から包帯を取り出すとカナタの脚に巻いてあったそれを手際よく交換した。きつく巻かれたそこにはじわりと赤黒い染みができたが、拡がっていく様子はない。しかし早く安静な場所に連れていってやらねばならぬだろう。

「ペシャワール城まではもう八アマージ(約ニキロ)ほどだが…渓谷を下流に沿っていって渡る必要がありそうだな」

ダリューンの提案通り、一行は下流まで馬をすすめ、ようやく渡っていけそうな流れのゆるやかなところまで辿り着いた。しかしそのとき、一行がそこを通ると踏んで待ち伏せをしていた兵に見つかってしまう。アルスラーンを生かしてとらえよ、他の者は殺せ、と、初めこそ勢いよく刃を振りかざしてきた兵たちであったが、ひとたび乱戦となればその首が飛ぶまでの時間はそう長くなかった。ダリューンは敵が自らを殿下から離れさせようとする策を一瞬のうちに察知し、アルスラーンに斬りかかる一騎を、見事に脳天からあごまで斬り捨てた。だがそれと同時に、別の一騎が殿下の頭部に白刃を振り下ろそうとしていた。

次の瞬間、上空から何か黒い塊が飛来し、敵兵の前にその影が重なった。敵兵の顔面にはするどいくちばしと爪によって切り裂かれた傷がつき、血しぶきが目に入って体勢を崩したそれを、ダリューンが一刀両断にした。

「アズライール!」

殿下は上空を舞った後に自分の腕に甘えるようにとまったその鷹を、雛鳥の頃から知っていた。そしてその主が頼もしい存在であることも。

「みんな、キシュワードがそばにいる。援軍を連れてきてくれるぞ!」

ナルサスはこのときに、この王子には何と兵の士気をこころえているのかと心からの感心をするほかなかった。段々に冷たくなっていってしまわないかと、カナタの体を左腕で強く抱えてその体温を確かめながら敵兵と対峙するのは生きた心地がしなかったが、そんな己の心にも一閃の光が差したように思えた。そうして直後には尾根の上に騎馬の影が何千も現れ、敵兵から恐れを孕んだ声がわっと上がり、馬首を回らして後退してゆくさまが見て取れた。

「王太子殿下を、守り参らせよ!全軍突撃!」

キシュワードの一声に呼応した数千の騎手たちは、大きく突撃(ヤシャスィーン)の声を上げながら急坂をかけくだった。後退する敵を一片の容赦もなく追撃し、大方それが掃討戦の段階に入り始めると、殿下の側に一騎が近づいた。キシュワードが甲冑を揺らして馬から飛び降り、地面にひざまずく。

「ようこそご無事で、このような辺境の地においでくださいました。ペシャワール城にある騎兵二万、歩兵六万、あげて殿下に忠誠を誓わせていただきますぞ」
「ひさしぶりだ、キシュワード。アズライールが助けてくれたので、おぬしも近くにいるとわかった。本当によく来てくれた」

同じく地に立ったアルスラーン殿下はキシュワードの手を取り立たせると、一切の偽りもない感謝の言葉を伝えた。

「負傷者がおるのだ。すぐに手当をしてほしいのだが、頼めるだろうか」
「馬上からで失礼するが、私からも頼む、キシュワード卿。ひどく失血していて一刻を争う」
「無論です。城の医者を手配いたしましょう」

キシュワードは見知ったことのあるナルサスの青ざめた表情に、事の重大さを察知する。
ペシャワール城に入るやいなや、すっかり血の気のなくなったカナタのところへすぐさま城の兵が担架を持ってきて医務室へ運んでいった。ナルサスは彼女の安否が分からない状態では何も手につかず、疲弊した頭を休ませることもできなかった。しかしながらそこから一夜が明けると、医者から失血していたが他に症状はなくカナタの命に別状はないと告げられ、ようやくそこでしばしの休息のために瞼を閉じたのだった。

カナタの容態が回復するのには、思っていたほど時間はかからなかった。地行術を使う魔道の者がつけた傷は、医者に言わせればどんな刃物で切断したか分からぬほど見事な切り口だったという。それゆえに傷口を縫って固定しておけばすぐさま元のように組織が結合して、問題のない様子に回復した。

しなやかに咲く花弁のような色を取り戻した彼女の姿を見て一同はとにかく喜んだ。そして今後の打ち合わせをしているアルスラーンとナルサス以外の者は、誰からとはなく広間に集まり、元気を取り戻した彼女を囲んでそれぞれの旅路について最中の出来事を共有した。

「そうすると、道中はダリューンさまとファランギースもかなり敵に遭ったようですね」
「ああ、一つ一つは大したことがなかったが、数の多い奴らを相手にするのは、いささか骨が折れた」
「実は最初は、先生と離れてしまった後ダリューンさまと合流しようと試みたのですが、辿って来た道を見るに私の見当はとんと外れていたようです」
「カナタが見当を外すなんて、珍しいな。俺としてはその外れた見当でこちらに合流してほしかったものだ。男三人の旅路は、俺にとっては損な役回りでしかなかった」
「そう言う割に、殿下の話では何度もギーヴが危ないところを助けたみたいじゃない」
「ほう、おぬしにしては殊勝な行いじゃな。何か悪いものでも拾い食いしたのか」
「嗚呼、ファランギース殿の虐げるようなその視線ですら、今の俺には眩しすぎる!」
「カナタは単騎でどの道を行ったんだ。ナルサスとは途中で合流したと言っていたが」
「そうですね、最初に皆と分かれてこの道を行きまして…」
「なるほど。銀仮面の男に、魔道を操る者か…。なかなかに、息つく間もない様子だな」
「ダリューンさまに稽古をしていただいていなかったら、無事にここまで辿り着けなかったかもしれません。ありがとうございます」

互いが互いにどういう足取りをしてきたのか話すうちに、カナタの口から淡々と話される別路の様子は、意図せずとも他の者からのナルサスに対する誤解を解いたようであった。

「カナタさま。本当〜〜〜〜〜に、何もなかったんですか?」
「エラムってば…あの先生が私に何か気を起こすって本気で思ってるの?」
「思ってる思ってないではなく、事実を確認することが目的なだけです。まぁカナタさまがその様子なら、大丈夫そうですけど…」

エラムはその中でも一際ナルサスとカナタに詰問するような拘りを見せていたが、師弟の関係が別段変わりないことを認め、ようやく何もなかったということを肯定したのだった。