マイレディ・ユアレディ 02

もうすぐ昼下がりだから、とナルサスとカナタは連れ立って王太子府から港町へ繰り出した。朝から働かせていた頭も休めたかったし、何より空腹が二人を襲ったからである。何を食べようかと思案するナルサスに、よかったらオススメのお店があるから外に食べに行かないかと誘ったのはカナタであった。

「この短期間で、ギランの街にも随分詳しくなったようではないか」
「はい。シャガードさまにも案内していただきましたし、妓館にいれば大抵の情報は手に入りました。情報収集も、随分手際よく出来るようになった気がしますね」
「…手段については問わんが、十分気をつけて臨むようにな」
「心配してくださるのですか?」
「いつでもしておるさ」

まるでじゃれ合いのような会話を続けながら、二人は港沿いの露店が並ぶ通りを抜け、何本目かの路地を折れて目的の店に向かった。カナタが「オススメの店」と紹介したのは新鮮な海の幸を蒸し焼きにして提供する屋台で、彼女はその中でも一等カニとエビが美味しいとやや興奮気味にナルサスに語ってみせた。

屋台で、カニとエビを蒸したもの、それに貝のたくさん入ったスープ、穀物を薄く焼いたパン、日替わりで用意されるという小さな魚を頭からまるごと揚げて甘辛く味付けた皿を受け取って、二人はその日の昼食を楽しんだ。ナルサスはどの料理に口を付けても「うまい!」と感嘆の声を漏らし、カナタは目当てにしていた蒸し物に舌鼓を打つとともに魚の揚げ物の味付けにも「これは新しい味ですね」とその美味さを認めている。とにかく二人の目の前の皿はあっという間に空になった。

「うん、実に良い昼飯であった。カナタ、お前の情報収集能力も随分磨かれたと見えるな」
「お褒めに預かり光栄至極でございまする。では、ナルサスさまに置かれましては食後の甘味は何がよろしいと存ずる次第でしょうか」
「温かい料理を食した後だ、冷えたハルボゼなどいかがかな」
「ではあちらに」

芝居じみた口調でやり取りをするナルサスとカナタは、どちらともなく自然に笑みを浮かべながら近くの露店までまた歩いた。カナタの案内した先にはよく冷えた果実を売る露店があり、二人はその中から何種類かを選ぶと店主に頼んで食べやすいサイズに切り分けてもらう。受け取って近くの木陰に腰を下ろし、その甘さと冷たさにすっかり喉を癒されると、そこでようやく二人は周りを見渡した。きょろきょろと周囲の露店を確認したカナタは、やや不安げに声を上げた。

「ナルサスさま、どうやら少し遠くまで来てしまいましたね。午後の執務に間に合うでしょうか」
「そうなるかもしれぬと思ってエラムに頼んでおいた。少し遅くなっても構わんよ」
「助かります。では少し街を見てから戻ってもいいでしょうか。この辺りはあまり来ることがないので」
「そうだな。行くか」

木陰から立ち上がる動作で、ナルサスはカナタの手を取った。最初はカナタが立ち上がるのをただ単にエスコートしてやるだけと思われたそれだったが、彼女が立ち上がってからも手が離れる様子はない。カナタはその様子にやや驚きつつ、しかし嫌な気持ちはしない。見れば隣に立つナルサスの表情までは伺えないものの、握った手はわずかに汗が滲んで熱かった。

「もしかして…緊張していらっしゃるのですか?」
「ギランの街は暑いからなあ。特にこの時間帯、手が汗ばむなどというのは自然なことだろうて」
「ふふ、それもそうですね。あ、ナルサスさまあれを」

歩み始めて間もなくしたところでカナタが何かを見つけたようだ。あれ、と言われ指さされていたのは、一件の金細工の露店であった。食べ物や武器でなく装飾品に興味を示すカナタをナルサスは意外に思いつつ、しかしながら年頃の女性であれば自然な興味かもしれぬとその店に視線と足を向ける。

どうやらその店はなかなかに腕のいい職人の店のようだった。ナルサスが一目見ても、置かれている装飾品の細工には目を見張るものがあったし、手狭ながらも店内は綺麗に整頓され、値段も適正な価格で統一されている。店主なのだろうか、店に一人座る褐色の肌の少女は、ややパルス語には不慣れなようだが二人の姿を見てニコリと控えめに歓迎するような笑みを見せた。そしてカナタは店の看板からぶら下がる一枚の木の板を手に持つと、そこに意外な人物の名前が直筆で書かれていることを確かめた。
ナルサスもカナタに一足遅れてそこに書いてある文字に気付き、彼女の目当ては装飾品ではなく手に取った木の板であることが分かると、内心で残念な気持ちがないわけではなかった。人並みにそういうものに興味を持っても良いのにと思うのは、まだ親心のようなものが彼の中にあるからであろう。

「ほら、ここ。ダリューンさまの文字ではありませんか?」
「本当だな。ダリューン巡回店とは…あやつ、ここで何をしておるのだ」
「…ねえ、可愛い店主さん。ここにはダリューンさまが来たの?」

カナタが意識してシンドゥラ語で話しかけてやると、店の少女はぱぁっとギランの太陽にも負けないような眩しい笑顔を見せ、何やら興奮した様子で自身もシンドゥラ語を話し始めた。ナルサスも隣でその会話を聞いていると、どうやらこの店にはギーヴが一枚噛んでいることも分かり、彼は「あいつも何をしておるんだ」と付け加えた。二人は再び会話をパルス語に戻し、改めて店の商品を見る。

「せっかくだから何かいただこうかと思うんですが何がいいでしょうか」
「お前も装飾品に興味を持つようになったのか?」
「それもありますが…何というか、ナルサスさまに選んでいただいたものを、身につけたいというか」
「可愛いことを言ってくれるな」

ナルサスはそこで、男性から女性に装飾品を贈るのは、それを身につけた女性を我が物にしたいという意味合いが少なからず含まれるのだが、と思いついて言葉にするのは止しておいた。そして店の中の装飾品を眺めるうち、そこに李の花を模した髪飾りを見つけ、店主の少女にそれを包むように頼むのであった。

「ナルサスさまは李の花がお好きですね」
「そうだな。お前が俺の弟子になった日も、舞っておっただろう」
「…私の前髪を奪ったあの後ですね」
「その節についてはすまんと」
「分かっています。その後に、綺麗だと言われたことも覚えていますよ」
「本当に物覚えが良いな、お前は」

二人のやり取りを見て、店の少女は「これは包んでも良いですが、よければお姉さん、つけていきませんか」と声を掛けた。そうしてナルサスにやや強引に髪飾りを渡して少女はニコニコと笑みを浮かべている。ナルサスは軽く結ってあるカナタの髪を一度解き、やや高めに結うとそこに李の花を模した金細工の髪飾りを添えてやるのであった。

お似合いですよ、と言う少女の言葉を受け、二人はその店を後にする。お代をナルサスが払おうとしたときにはカナタは抗議の声を上げたが、それに対してナルサスはこう言い放った。

「いつぞや魔道の者を退治したとき、お前が燃やしたハンカチの礼だ」
「そんなこと…よく覚えていましたね、ナルサスさま」
「俺は物覚えのいい師匠だからな。お前が元の世界から携えてきた数少ない持ち物だったはずであるから、いつかとは思っていたのだ」
「あの時は無我夢中で、そんなこと何も考えていませんでした。でも、ありがとうございます」
「金であれば燃やすことは出来ぬが、また別の使いみちもあろう」
「ナルサスさまからいただいたものですから、大切に身に着けさせていただきます」
「そうか。…なあカナタ、もう一つ、店に寄ってもいいか」
「私は構いませんが…そろそろエラムに怒られはしないでしょうか」
「エラム一人でもやることは分かっておるさ」

気楽にそう言い放ち、ナルサスは再びカナタの手を引いた。先程のように紳士的なものではなく、やや強引に引かれる右腕に、それでも嫌な気持ちはないとカナタは嬉しくさえなる。こうやってナルサスに戸惑いなく触れてもらえることが、今の自分にとっては精一杯で最大限受け止められる愛情だと、そう感じていた。

カナタは先日、ナルサスからの返答を延期にしたことを、後悔してはいなかった。何せこれから王都奪還という重要な時期に、この芽生えたばかりの恋心は大きすぎるとそう思ったからだ。息をしているだけで飛び出してしまいそうなナルサスへの愛の言葉は、しかしまだ公にしていいような覚悟のある気持ちには至っていなかった。彼女自身もまた、これから臨む王都奪還という壮大な旅に向けて、ある程度気持ちの整理が必要であったし、国が繁栄するその礎が出来たとき、目の前を進む彼の隣に自信を持って立てるようになっていれば、そこで返答をもらうべきだとそう考えたのだ。

そうして願わくば彼もまた、自分への愛情を少々抑えきれない節があればいい。エクバターナ復興という長い道のりの中、この恋が弊害になるくらいであれば、いっそ全てが落ち着いたところでお互いの気持ちを再確認する方がいい。

「ナルサスさまには、分かってしまったでしょうか」
「何か言ったか」
「いえ、独り言です」
「さあ着いたぞ。中に入ろうではないか」
「え、しかしここは」

戸惑いがちなカナタの声も虚しく、ナルサスはやはり右腕を強引に引いてカナタを目当ての店に引き入れた。そこは忘れもしない、カナタがシャガードに紹介された武器商人の店だ。しばらく営業を停止していたと思ったが、どういうことか店は元通り営業している。

「これは一体…」
「カナタ。お前、先日の裁判記録で読んだであろう」
「もしかして、ナルサスさまの書いたあれが、ここですか」
「そういうことだ。あの後店主の行方を探し、王太子府で裁判を行った。お前の誘拐に加担したのだから当然のことだな。そうして殿下が立派に審判を下された」
「『王太子アルスラーンとその兵に、以降一年間無償での武器防具提供を続けることで営業を許可する』という内容でしたね」
「殿下の判断力には時々あっと驚かされることがあると思っていたが、このところますます見事だとは思わんか」
「本当に。ご立派なお考えを持って成長されておりますね、殿下は」
「まあ。そういうことだ。店主よ、今の話に相違ないな?」

ナルサスがやや声に凄みを持たせて店の奥にいる店主に話しかけると、カナタにも見覚えのある顔の店主は申し訳なさそうにペコリと頭を下げてみせた。そうしてナルサスは、彼に宝石のついた短剣をいくつか見せるように指示をする。

「ナルサスさま、短剣をお持ちになるのですか?」
「いや、これはお前の分だ。元々使っていた剣が古くなったからとここに来たのであろう?」
「はい」
「王太子アルスラーンの部下であるお前が何を遠慮することもない。好きなものを選ぶといい」
「…いつも思うんですが、こういうときは心の底から楽しそうでいらっしゃいますね」
「正しい政が行われていれば俺はいつだって楽しいとも」
「しかしこんなにたくさんあると…さすがに迷いますね。どれも上等な品に見えます」

目の前にずらりと並べられた短剣を見て、カナタはその一本一本を手にとっては握ったときの感じ、重さ、質感などを丁寧に確かめた。さすがの店主も下手な品が出せないというのはわきまえているようで、どの剣をとっても一級品に違いない。そのうちにカナタもまた武器を見るのに熱中し、店主に向けて「揃いの長剣がないか」「これはどういう素材か」など滝のように質問を浴びせるのであった。

結局、カナタは目当ての短剣と、それと揃いの長剣、更には投げナイフの数本までも手に入れて、店を後にした。

「ふう、いい剣が手に入りました。ありがとうございます」
「お前、いつの間に武器にも詳しくなったのだ」
「百騎長になってから、少しばかり気になって調べるようになりました。調べてみたら意外と奥深い世界でですね。今度ナルサスさまにも是非読んでほしい本がありまして、それがまた丁寧に武器の世界が紐解かれていて…」
「カナタ、こちらの世界は楽しいか」

突然のナルサスからの問いかけに、カナタはそこで足を止めた。細い路地を生温い潮風が吹き抜け、彼女の高く結った髪を揺らした。一寸置いて、短く返されたのは「はい」という短い肯定の言葉だった。

「余分な言葉は、不要です。今の私には、ナルサスさまの隣が居場所ですから」
「そうか。それならばいい」

ナルサスがその時何を確かめたかったかは、カナタにはまだ伝わりきらないことであったが、彼は追々それが伝わればいいと思う気持ちはあっても、今すぐにと急ぐ気持ちはなかった。

そうして二人、再びゆるく手を取り合いながら王太子府へと戻る。カナタが腰に携えた短剣には、ナルサスの瞳の色をしたアメシストの宝玉が、長剣には彼の髪のような蜂蜜色をしたトルマリン石が、それぞれ仄かな煌めきを秘めて嵌められていた。

End.