三食目 鰯の梅しそ巻き

「いらっしゃいませ、時透さん。今日はお魚にしますか?お肉にしますか?」
「魚」
「お魚ですね。今日のお魚定食は鰯の梅しそ巻きです。柔らかいですけど、小骨があるのでよく噛んでくださいね。ご用意しますから、ちょっとだけお待ちください」

そう言って私は、目の前の席に静かに座った時透さんに先付の椀を出しました。茄子とオクラの焼きびたしに箸をつけながら、時透さんは今日もどこかぼんやりした瞳で店の奥を眺めています。

「お疲れでしたら、少し休まれますか?」
「いい。僕以外の人が来る時間でしょ」
「うーん、でも、時透さんが入ってくると、他の隊士さんたちはお店には来ないようですし」
「じゃあ出来たら呼んで」

言い終わった瞬間にはもう、時透さんは雪崩れ込むようにして二人がけの席に横になっていました。名前を知ってから少し経って、彼は思っているよりずっと素直な人であることや、鬼殺隊の他の隊士に何故か遠巻きに恐れられていること、昼間は少し眠たそうにしていることを知りました。そして気まぐれにやって来てはお日さまを浴びたばかりの座布団の上に横になる姿を見て、秘かに野良猫を手なづけたような誇らしげな気持ちになるのでした。

時透さんがやってくるのは決まって天気のよい日でした。もしかして私が座布団を干したい陽気を知られているのか、案の定今朝も久々の快晴に張り切ってお洗濯をしたばかりです。もういっそお天気の日には奥の席にお布団でも敷いておこうかとも考えたのですが、少しでも様子が変わると気まぐれな猫はやってこないような気もして、結局ふかふかの座布団を二枚敷き詰めておくのでした。

『時透が言っていたのは、この定食屋か!』

今日の眩しい晴天を頭に描いたとき、まだ新しい記憶の中に、太陽のような人がいることに気づきました。つい昨日のこと。店を訪れた隊士さんはどうやら時透さんから私のお店のことを聞いたようでした。一緒に働いている人なのかしらと首を傾げても、何分発言に勢いのある方でしたから、詳しいことは聞けずじまいでしたが。

『あまり勧めたくはなさそうであったが、美味いな!もしやこれは、あいつの隠れ家なのかもしれぬ』
『ありがとうございます。時透さんは、うちのお店の名前など、覚えていないと思っていました』
『そうだな。しかし君の店の名だけではなかろう!おそらくはな』

それはどういうことかと口を開きかけたものの、その方は感嘆を述べながらおかずを頬張るのに必死でしたからそれ以上の会話はありませんでした。『覚えていないわけではない、何事も!』とだけ言い残し、まるでひたすらに薪を焚べ続けられているようなその方は店を去っていきました。

捌いた鰯の身に大葉をのせ、その上に種を取り出した梅を置くと、夏の暑さを吹き飛ばすような香味が押し寄せました。尾の方からくるくるとそれを巻き、竹串でとめておきます。4つほど巻いて、残った大葉を予め作っておいた天ぷら液へつけ、軽い食感になるようさっと高温で揚げました。緑がより一層輝いて食欲をそそる見た目です。
鰯も同じく、高温にした油でカラリと揚げます。今朝は活きのいいものが手に入りましたから、中まで火を通しすぎない方が身もふわりと仕上がってよいでしょう。

「もう起きられるんですか?」
「出来そうな匂いがした」
「すっかりお得意様ですね。それとも鬼殺の隊士さんは皆さん、鼻がいいんでしょうか」
「さぁ。覚えてない、何も」

いつもと同じ、もしかしたら見逃してしまうかもしれないくらいの声色でつぶやかれたその言葉は、私の記憶の中のあの隊士さんの言葉と結びつきました。

「時透さんは、きっと覚えていないんじゃなくて、忘れてしまっているだけではないですか」
「どう違うの?」
「つい昨日、同僚の方に私のお店を紹介してくださったと聞きました。それが結構意外で」

衣の形が決まったくらいのところで一度油から取り出し、そして火加減を強めてもう一度。鰯特有の初夏の匂いが鼻の奥まで広がって、とても清々しくいい気分です。サクサクと音まで聞こえてきそうな揚がり加減を見計らって、さっと藁半紙の上にあげました。

「お店をなんとなくでも覚えてもらっていたことが嬉しかったんです。またきっと、他の方にも教えてくださいね」

お味噌汁と山盛りのご飯、そして見事な渦巻きの断面を見せる鰯を盛り付け、彼の目の前へ置きます。けれど時透さんはなぜかこちらを見つめたまま微動だにしません。いつもなら私の言葉に被せる勢いで「いただきます」とだけ言って、その後は一心不乱に食事をするというのに、一体どうしたのでしょうか。

「おかしいな、覚えていなかったと思うよ」
「そうですか」
「うん。でも、そういえば晴れるとここを思い浮かべるかも」

なんでだろ、と首を傾げている時透さんの表情は真剣そのものでした。無意識のうち、きっとあのふかふかの座布団に引き寄せられているんだと思うと、私は頬が緩むのを止められないのでした。

end.