恋しゃんせ。
「で、例のなつきちゃんとはどうなったの?」
「…どーもねーよ。あんま、話しかけてこなくなったし」
「ふーん」
目の前のパンダトレノのドライバーは、現在恋の修羅場というやつを迎えている。相手は同級生の茂木なつきという、とても可愛い女の子だ。
一度だけ本人を見たことがあるのだけど、本当に可愛くて、あたしは心底自分にがっかりした。何を期待していたのかというと、あたしより可愛くない女の子だったらいいのに、そう思っていたのだ。
高校に通わなかったあたしには着ることのできない制服を着て、短いスカートから白い太腿をのぞかせて、ひらりと裾を翻して。大きな瞳でどんな風に拓海を翻弄したんだろう。彼女の白い掌はどれくらい拓海に触れていたんだろう。女のあたしから見ても羨ましい、おおよそ欠点の見つからないその容姿に小さく舌打ちしたい気分だった。
あたしは自分にそこまで自信がないわけじゃなかったけれど、あの娘になんて敵うわけがないよ。勝ち目のない勝負に挑む勇気なんてあたしにはない。ないんだ。だから、ごめん拓海。
「援助交際っていうくらいだから、お金とかもらってたのかな」
「わかんねーけど…普通、そうなんだろ、やっぱ」
「あれだけ可愛いとそういう誘いもあるか。なんかさ、可愛いっていうのも考えもんだね」
茂木なつきがベンツの中年と援助交際してるのを知ってますか、って書かれた紙を、あたしははっきりとこの目で見た。拓海はその紙を握りしめたまま、怖い顔をしてあたしのところに来たのだ。そしてそれを見た瞬間、神様はあたしを見捨ててなかったんだ、と喜んだ。
ごめんね拓海。あたしは拓海が好きで好きで仕方無いのに、拓海の幸せを祈るだけなんて我慢できやしないの。愛とは愛されたいと願うこと、と謳った昔の人を尊敬している。そして愛されるためには多少の醜い気持ちは避けて通れないと付け加えたい。
拓海、ごめん。あたしは、あたしの方法で、拓海に愛されようと思う。茂木なつきの援助交際が発覚してそれに拓海がキレて、そうして居場所がなくなったときにあたしのところへ来てくれればいいって思ってたよ。
そしたら、泣いてもいいよと優しく抱き締めるくらいは許される?
頭を撫でて、あたしがいるよって言うくらいは許される?
あたしにしときなよって言うのを、許して、愛してくれる?
そう、思っていたんだけどね。
「でも…拓海は、なつきちゃんのこと、好きなんでしょう?」
「…それも、よくわかんねー」
「じゃあ、嫌いな相手に対してそういう風に悩める人だったっけ?拓海って」
「………」
こうして今助け舟を出してるのはどうしてなんだろうね。本当に不思議。なつきちゃんの援助交際の相手を見てしまった拓海を見てたら、とんでもないけど弱みに付け込む気になんてなれなかった。だって、本当に落ち込んでたよ、あのときの拓海。やけになってバトルに行って、そのままハチロクのエンジンやっちゃって。ぼろぼろになったハチロクと一緒にあたしの所へ来たとき、なんて声をかけていいのか、一瞬にして分からなくなった。
おかしいな、泣いてもいいよってぎゅって抱きしめるはずだったのに。あたしがいるよって言えばそれでよかったはずなのに。あれほど脳内で色々シミュレーションしておいたのに。一個もうまい言葉は出てこなかった。
別になつきちゃんのことが好きになったわけじゃない。あたしは正直、彼女のことを今でも羨んでいるし、強い言い方で言うと憎んでる。けど、拓海がいつもの拓海じゃないのを見てるのはどうしても辛かった。だから、協力してあげるのはこれっきり。ついでに言うと「なつきちゃんに」ではなく「拓海に」協力してあげるだけだ。
「素直になれよ、少年!」
「少年ってなんだよ、同い年だろ!」
「あたしのが誕生日早いっつーの」
「そうやって屁理屈ばっかし言いやがって、かわいくねーなーお前」
「いーわよ拓海に可愛いと思われたってべっつに嬉しくないしー?」
拓海が拗ねたように唇を尖らせながらもその後にちゃんと笑ってくれたからほっとした。諦めたわけじゃないけど、そうやってあたしが少しでも笑顔の種になれているならそれでまあいいかとも思えてしまう。
「あー、もー」
「ほらーさっさと行きなよ、なつきちゃんとこ」
「分かってる! あのさ、」
少し俯いて小さく呟かれた「ありがとう」がどれだけあたしの胸を締め付けるものなのか、拓海は知る由もないんだろうな。
拓海とハチロクがいなくなった車庫で、あたしは声を殺して1人で泣いた。
もう恋なんかしないなんて、言わないよ絶対。
それでもあなたが好きだから、言えないよ、絶対。
End.