Wouldn't It Be Lovely?

「おなか空いたァー涼介ェーおーなーかー空―いーたァー」
「はいはい、分かったから」
「んふふー、涼介がご飯作ってくれるなんてどういう風の吹きまわし?」
「久々に料理がしたくなったんだ。も、家にいるって言うし」
「それでわざわざスーパー寄って帰ってきたの」

予定していた実習が急遽延期になったせいで変な空き時間が出来てしまった。どこか買い物にでも出ようかと思ったがそれには若干遅く、かといって家に帰ってのんびりするにはまだ早い。そんな時間だったという。

そういう時間ができたときに真っ先にあたしに料理を作ってあげようという思考が働くところが好きだなと思った。もっと他にもやるべきことはあるはずなのに、そんなのそっちのけで一生懸命にゴボウのササガキをしている涼介。本当、イイ男になったもんだ。

キッチンにはすっかり2人分の食器が居着いて、定番と言われそうなお揃いのマグカップはあたしも涼介もお互いにコーヒーを入れたまま放っておく癖があるので少し汚れてきていた。幾重にもなるそのブラウンの軌跡が、どうもしなくてもあたしと涼介の付き合いを物語っている。

「そういえば、藤原に教えてもらったんだ」
「何を?」
「コップについた茶渋を簡単に落とす方法」
「…へェ」

そりゃ随分と家庭的な話をするのね、Dのエースの片割れは。そうだな、藤原の家は母親がいないらしい。だから、家事なんかはほとんど自分でするんだぜ。ことことと煮立つ鍋の中身を気にしているうちに始まった会話は、コンロの火をとろ火にしてからも続いた。じゃあ涼介より上手かもね、なんてあたしがからかうと、俺だって、実家にいたころに比べれば色々するようになった、とムキになる。

「けど、藤原にそれを言ったらすごく驚かれた」
「えっ涼介さん家事とかするんですかーって」
「そっくりそのまま」

同じこと言ってた、と涼介が笑った。そりゃあ、こんな育ちのいいお坊ちゃんがまさか自分から進んで家事をする必要があるなんて誰も思わないだろう。

に会ってなかったら、こんなこときっとしなかったぜ」
「アラ。じゃあ会わない方が涼介のためだったかなァ」
「会わなかったらなんて考えられないけどな」
「まァ、こうして会っちゃったし」
「そうだな、会っちゃったし」
「ぶっ」

わざとあたしの口調を真似て呟く涼介がなんだか非常に面白くて思わず笑ってしまう。
ねぇ涼介。気付いてないかもしれないけど、出会った頃に比べてずいぶん表情豊かになったよ。雰囲気も柔らかくなった。無意識に境界を作るのは変わらないみたいだけど、それでもその境界線は薄くなったと思う。茶渋を落とす方法とかを話題にできる知り合いができたっていうのは少なくともその成果じゃない?そうやってだんだん普通に近づくのは、どういう感じなのかなァ。

「…涼介さァ、前に、疲れたって言ってたよね」
「あぁ。今はどちらかというと目の前のことで手一杯で、楽しいけどな」
「じゃあ、また疲れたときでいいんだけど」
「ん?」
「あたしんとこに、永久就職すればいいんじゃないかなァ、って」

しばらくお互い、何も言葉を口にしなかった。相変わらず鍋の中でことことと煮詰められているその音が、目立って目立って仕方ないくらいの静寂。だがしかし涼介の耳は左右両方とも真っ赤になっていた。

「煮えたんじゃない?」
「え」
「煮物」

鍋を指さしてそう言えば、涼介が慌てて落とし蓋をめくって火の通り具合を確認する。焦るだろうとは思っていたけどまさかそんな風に言葉を無くす程に焦るとは思わなくて、予想外の展開にあたしはにやにやと口許が緩みっぱなしだった。

「…そういうのは、俺から言いたかったんだが…」
「あ、そうなの。また気が向いたら言ってくれればいーよ」
はそれでいいのか?」
「それがいい」

夜景の綺麗なレストランで高いシャンパンを飲みながら結婚しようって言葉とともにすっと差し出されるダイヤの指輪に憧れないと言えば嘘になるけれど、どうも涼介との場合そうじゃない気がするから。もう少し自然な形でプロポーズされてみたいなァと、思うわけだ。乙女心は複雑で困るわね、ってもう乙女って年でもないか、と自分で自分に苦笑い。

「このままじゃ涼介、あたしんとこに婿に来ることになるし」
「困りものだな」
「でしょ」

だから改めてあたしが嫁に行けるよう、涼介からプロポーズすること。と言うと、分かったと笑う。ロマンチックとは程遠いかもしれないけれど、少なくとも涼介が隣にいた方が幸せだと思える。付き合い始めて変わったのはどうやら彼だけじゃなかったらしい。マグカップの軌跡なんてものがなくても疑いようのないくらい、いつの間にか自分自身が涼介との付き合いを物語ってしまっていることに気付いた。



End.