My Fair Lady!(and My Lover!)
寝顔の可愛い男は、得てして得であるのだなぁ。
忙しいんだろう、なァ。大学生って暇なもんとばかり思ってたけど、こうして涼介を見てると下手な社会人よっぽど大変なんだと思う。医大って大変なんだろうなァ。寝る時間短いんだろうなァ。それなのにお肌が荒れないって、美形は努力してないって本当なんだなァ。
手のかかるレポートも試験も大方終わったから、と電話があったのは昨晩。そして大学から自分の家に戻り車を取って直行でうちにやって来た涼介はご飯を食べるなりすやすやと眠ってしまった。よっぽど疲れてたんだろうなァ。どれくらい寝てなかったのかなァ。
涼介の課題が終わったからといってあたしの仕事の量が減ったわけではなく、隣で眠るその寝顔を気にしながらもあたしは明日仕事で使う資料を出力していた。ガシャン、とプリンタが音をたてるも隣人は全く起きる気配もない。いつまでもその綺麗な顔を見慣れることはなく、寝ているのに隣にいるとどこか緊張さえしてしまう。
「くそ、コーヒー切れた。ヤニも切れた」
正確にいえばヤニは数時間前から切れっぱなし。眠っている人の横でタバコなんて吸えないし、ベランダに出て吸えればいいのだけどパソコンの前を離れるわけにもいかない。なのでカフェインでどうにか誤魔化そうとさっきからブラックコーヒーをがぶ飲みしている。
「不健康だって笑うんだろうなぁ」
それを言えば涼介だって十分不健康なのに、と思う。寝ない食べないが当たり前な辺りあたしたちは似た者同士だ。
本当にあたしでいいんだろうかと思ってしまうことだってもちろんある。きっと将来涼介は医者になって家を継ぐんだろう。そういうとき同じくして多忙なあたしと一緒にいて、本当にうまくやってけるのか。
「ま…どうでもいっかそんなこと」
お互いにそういうことを考えて付き合ってるわけじゃない。第一支えて支えられてなんて関係が好きじゃないのはそこもまた似た者同士だ。なるべくならお互いに干渉がない方がいい。ただし干渉しないのと無関心とが違うことを心得ていることが前提条件だ。
ガシャン。プリンタが最後の紙を吐き出した。我ながらいい出来のその書類を見てにやにやする。自分の考えがどんどんと形になって果てには実物になるというのはこの世で1番の快感だと思うのだ。この喜びを知ってしまえばもうそれがなかった頃になんて戻れやしない。
「さ、ヤニ補給ヤニ補給」
いそいそとシガレットケースを持ってベランダに出る。10月の風は少し乾燥しているものの肌に心地いい温度で、この晴天の下昼寝なんてしたら気持ちいいことこの上ないだろう。秋独特の匂いが鼻を掠めていく。2本目のタバコに火を点けた後、とても寝起きとは思えないほどすっきりした顔の涼介が起きてきた。
「おはよう涼介。よく寝てたね」
「ああ、危うく色素が沈着するところだった」
「厭味か」
「厭味だな」
いつになく寝起きのいい涼介はしばらくぼんやりと眼下の風景を見ていた。言っておくがあたしのマンションは最上階であってもそこまで景色のいい方ではないぞ。
「春になったら、」
「うん」
「プロジェクトDも終わる。そしたら俺は本当に引退だ」
「医者になるから?」
「それもあるが…少し、疲れたかな」
「そう」
そうしてしばらく、あたしたちは何も言葉を交わさなかった。紫煙を吐き出すのにも飽きてぐりぐりと灰皿にタバコを押しつける。ああ、彼は随分と大人になったなァ。出会った頃のあの若さゆえの挑戦的な印象はいつのまにかどこかへ行ってしまった。疲れた、という表現がやたらしっくりきた。
「は、そういうことはないのか」
「疲れること?」
「ああ」
「そりゃーね。好きなことで食べてくっていうのは、予想以上にハードよ」
仕事にしたことでそれまで好きだった気持ちが薄れていくのが分かるときだってある。夢見ていたような世界じゃないことを思い知らされて絶望することもある。思い通りにならなくてとてつもなく苦しいことだってある。今はそこまで思いつめることはなくなったけど、それは多分ある程度この世界を知った上で仕事をしているから。別に現状に満足できてるわけじゃない。ただ慣れただけ。
「でもさー、涼介も分かると思うけど、楽しいんだ。これやってるときが1番」
「そう言われると何も言い返せないな」
「そうなのよねェ」
だからこれは人生の先輩としての助言。そう前置きして少し偉そうなことを言ってみる。
「辛いと思ったらやめればいい。すっぱり切って忘れてしまえばいい。けどすぐ気付く。自分にはそれがないと駄目なんだって」
もはやデザインのない生活なんて考えられないほどにあたしは侵食されてしまっているから。きっと涼介もそうだと思う。今は疲れたと思っていても、すっぱり切ってしばらくすればまたすぐに峠を攻めたくなるはずだ。その時は我慢せずに走ればいいんじゃないか。
「俺たちの関係も同じ、か?」
「さぁ。1回すっぱり切ってみれば分かるんでない?」
「それなら別に切る必要もないな」
だって俺はといることに疲れることは特にないから。さらりとそういうセリフを言うことを許されている男が少し憎たらしかった。でも確かにあたしも、涼介といるときに疲れたと感じることは特になかったので小さく頷いておいた。そうして2人、曖昧に笑った。
End.