Kiss me in doubt.


「おい、また来てるぜあの車~っ」
「あれって高橋の恋人だろ?」



あー今の子可愛かった。きっとありゃサッカー部だな、背が低くてガタイがいいってなんかいいよなあ。あっあの女の子化粧濃いなァ~体育のときとかどうすんだろ。女子高生のスカートの長さって一応あれだよね校則っちゅーもんがあるんだよね?進学校だって聞いてたからみんな校則とか守ってるだろと思って油断してたわ、さっきからパンツ見えまくりで何も悪いことしてないのにあれれ罪悪感が。

さん」
「あ。おかえり涼介くん」

今時の高校生っていうのはどんなもんかしらと観察記録をつけていたあたしの目の前には、紛れもなく彼らと同じ学生服を着た涼介くんが立っていた。乗っていーよと言えば重たそうなカバン(参考書が詰まっていて人を殴ったら結構痛そうだ)を抱えて彼は助手席に乗り込んだ。目の前を歩いていた女子学生が一気に色めき立つ。

「相変わらず目立つよねェ」
「何がですか?」
「この車。と、それに乗りこむのが涼介くんだっていうこと」
「まあ、半分そのために迎えを頼んでるようなもんです」

そうなのだ、この男は確信犯なのである。もはや学園のアイドルと言っても過言ではない地位にいらっしゃる高橋涼介を狙う女子は数多。この3年間で幾度となく繰り返される告白。好きになってくれるのは嬉しいけれど、断った後の面倒事が多いとうんざりしていたらしい。このシーズン卒業を控えた彼に最後のチャンスと言わんばかりにアタックを仕掛けてくる女子も多いのだそうだ。そんな話は少女マンガの中だけだと思い込んでいたあたしは正直半信半疑だった。

だがしかし、あたしがこうして午後7時のお迎えを始めて一週間もすると見ず知らずの女子学生から気合の入った睨みが入るようになり、二週間となればあなたりょうすけさんのなんなんですかと問い詰めてくる勇気のある女子学生も出てきた。なんなんですかって、こっちが聞きたいわ。そういうわけであたしは「高橋涼介=学園のアイドル」という方程式を認めざるをえなかった。
彼女たちのことを涼介くんに伝えると、迷惑をかけてしまうし一応俺とさんは恋人同士ということにしておいていいですかと提案があったので、あたしは特に気にすることなくそれに乗っかった。その時は気付かなかったけれどその提案はすなわち涼介くんが女子たちからのアプローチをやんわりと断るための理由作りでもあったのだ。
何はともあれ、こちらを気にしながら校門を出て家路についていく学生たちにとってあたしは「高橋涼介の女」なのである。だからってそんな怖い目で見なくても。

しかし元々どうして「お迎え」なんてすることになったのかといえば、短期間で峠での走りを極めたいという涼介くんに1分1秒でも多く車を走らせて欲しいからとあたしが申し出たのであるからして、これくらいの仕打ちは耐えねばならないのだろう。
仕事を終えて学校まで迎えに行き、適当に食事を済ませ峠を攻める。涼介くんは翌日学校があるしあたしも仕事があるので、遅くとも3時頃にはファミレスでまた食事をしてお互いの家に帰る。そういう日がもう随分続いていた。睡眠時間が極限まで減ったので身体的には辛かったけど、言ったことをすぐに理解して瞬く間に習得し目に見える速さでめきめきと腕をあげていく彼を見ているのはとても楽しかった。

コーチをしてほしいとそう告白された日に口付を交わしたことなんてまるでなかったかのように、彼とはせいぜい気の置けない友達くらいの関係でしかなかった。あたしは自分を慕ってくれる弟ができたような気分でいた。だからきっと長男であるという彼も姉ができたような心境でいてくれるのだと、そう思っていた。





「ふぁ~…」
「眠いですか?さん」
「いやー月末に大きなプレゼン控えててさ。それが新しい取引先と商談できるかどうかの重要なやつでね、今は無理しないといけない時期なんだわ」
「忙しい時にすみません。今日は雨だし、そろそろ切り上げましょう」
「悪いねェ」

雨はだんだん強くなり、今や地面に叩き付けるような音を立てながら降り注いでいる。あたしのZはいつも寄るファミレスに停めてきてあるので、FCのナビで麓まで下っていく。ざあざあという雨の音と涼介くんの声とロータリーエンジンの音。どの音も徐々に遠ざかって行った。





どれくらい時間が経ったんだろう。いつの間にか眠ってしまったようで、ゆっくりと目を開けると目の前にはフロントガラスに打ち付けた雨がだらしなく流れていく光景が広がっていた。車は動いていない。ぼんやりと焦点の合わない瞳で左側を見れば、麓近くの脇道だということが分かった。運転席に気配を感じ、起こさずに待っていてくれたのだと知る。

「ごめん、停めてくれたの」
「気持ち良さそうに寝てたので起こすのも悪いかと思って。全開で下ったのに爆睡してましたよ」
「いやー横Gに揺られるとどうも気持ち良くて。って、んなわけあるかい」

全開走行で眠れるとか本当に疲れてたんだなァと自分のことなのにまるで他人事のように思った。涼介くんはくすくすと笑った後にあたしの顔にかかっていた髪の毛を指先でそっと払ってくれる。そのまま離れていくかと思ったのに、今度は彼の掌があたしの頬に添えられた。冷たい掌の感触に、心臓が跳ねる。

「…俺の運転だから、安心して寝てたんですか」
「…まァ、そうかもね」

最近ますます腕を上げてきてるからなァ、雨の日の走りも全然危うさを感じなくなってきたし。そう告げると涼介くんは一瞬寂しそうな顔をして頬に添えていた手を離した。変な雰囲気にならないようにとわざと茶化すような口調で言ったはずだったのにどうしてか名残惜しい気がして、そのままハンドルに戻りそうになったその手をあたしは半ば無意識に掴み取る。自分でも都合のいい女だと呆れてしまう具合だ。ぐい、と引っ張れば油断していた彼の体は自然と助手席側に崩れてきた。

「えっ、」

どうしてだろう、この子ともう一度キスしたいなんて思ったのは。雨の中、真夜中、2人きり狭い車の中。そういう状況下でちょっと頭が沸いたのかもしれないけれど、それでも理由になるなら何でもいいと思った。理由なんてどうでもいいからとりあえずこの子ともう一度キスしたいと、そう思ったのだ。高橋涼介の恋人という偽りの肩書のせいで冷やかな視線を投げられようと気にも留めなかったのは、あたしが心のどこかでその肩書を気に入っていたからだととっくに分かっていたのだ。それを必死に抑えようとしていたのだが、そろそろ潮時だったということだろう。

けれどキスしたいというあたしの思いは拒否された。彼が女子たちにするようにやんわりとではなく、確実に強い意志で拒否された。唇が触れようかというところであたしは突き放されてしまったのである。やってしまった、と思った。けれど咄嗟に何か気の利いたことを言わないとあたしは彼に嫌われると思い、口を開いた。

「ファミレスまで乗せて。今日は、そのまま帰るから」

ごめんねと謝ると彼が困ると思って、とりあえずもう何もしないよという白旗を掲げてみせる。少しでも雰囲気を和らげようと必死に笑顔を作って言ったのに涼介くんの表情は曇るばかりだった。ああ、できればもう少しだけ、嘘でもいいから高橋涼介の女でいたかった。

「っ、さん」

思いつめた声と同時にぐい、と今度はあたしが腕を引っ張られる。そのまま運転席の方へ崩れると、涼介くんと唇でぶつかった。いや、唇というよりは歯と歯がぶつかった気がする。エナメル質の固いもの同士がぶつかって反動で一瞬離れそうになるもあたしたちは離れなかった。それどころか彼の腕はあたしの腰を手繰り寄せ、あたしの腕は彼の首に回されている。ディープでもフレンチでもなく、ただ唇をゆるゆると合わせているだけのキスだった。彼のことを弟だと思い込むのはもう無理そうだ。
なんてぎこちない恋なんだろう。ただそのぎこちなさが、そこはかとなく愛おしい。


嘘が真になる瞬間を見たことがあるかい。






End.