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Title: no title
Sub: もしよければ今から会いたい。赤城の峠で待ってます。

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メールの着信音で目を覚ますことなんて普段だったら絶対ないのに、「その音」が聞こえるとどれだけ疲れていても起きてしまう。アドレス帳の中で1人だけ音の違うその相手の顔を思い出すと少し胸が苦しかった。まさか自分がこんなにも簡単に恋に落ちてしまうと思っていなかったものだから、これには驚く外ない。

寝起きだということを悟られないように簡単に髪を整える。家にいたのにあまり気合いの入った化粧もおかしいだろうとリップとアイブロウだけ済ませ、とりあえずパジャマを脱いでクローゼットと睨めっこ。これがいいか、いや、こっちの方がいいか。迷っている時間がないのは分かっているのだが如何せん着ていく服は決まらない。散々悩んで着る服を決めたもののそういえばバイクで行くのだから結局革のジャケットで隠れてしまうのかと気付いたのは単車に跨ってからだった。髪だってセットしてもメットを被れば潰れてしまうのだ。どうしてそんな当たり前のことに気付かなかったんだろう。

啓介が遠征をしているというのは啓介の兄である涼介さんから聞いて知っていたが、まさかそれにうちの組の奴が関わることになるなんて思いもしなかった。その話が耳に入ったときは柄にもなく怒鳴り散らした覚えがある。幸い啓介に怪我はなかったと聞いて治まったのだが、それでも悪いことをしてしまったなと後悔の念が残った。
黒いFDに乗っているという例の彼女とはどうなったんだろうか。その結末を知らないまま啓介に会いに行くのは少し気が重たかった。同じ走り屋でしかも相当な腕前で、聞いた話によると結構可愛い女性らしい。そういう人が目の前にいれば、走りに集中したいと言っている啓介の心だって揺らぐんじゃないかと不安だったのだ。
私は別に、啓介と付き合っているわけでも何でもない。言ってしまえば啓介と私は恋人でもなく友達でもなく、なんというかとても不安定な関係だった。

啓介に惚れていると自覚したのはいつだったのだろう。少なくとも啓介がうちの組にいた頃はこんな気持ちになることはなかった。偶然に再会して、それからちょくちょく連絡をするようになり、いつの間にか近くにいて、なんとなく声が聞きたいと思ったり、顔が見たいと思ったり、自然にそういう風になっていった。だから「いつ」と限定するのは難しい。

急いで走らせたにも関わらず麓に着くまでには結構な時間がかかってしまった。遅くなってすまないとメールで詫びを入れ、啓介の到着を待つ。麓にいないということはまた走り込みをしているのだろうか。

「お嬢、すみません。こんな時間に」
「起きていたから構わない。ちょうど明日提出のレポートが終わったところだったんだ」
「それならよかった。腹、減ってませんか?よかったらファミレスで、」
「啓介」

少し痩せたな、と思った。啓介の両頬に掌を添えてみればやはり心なし肉付きが悪くなっている。

「何かあったな」
「…少し」
「私で聞けることか」
「…」

起きていたなんて嘘だし、何があったかなんて全部知っている。私は卑怯だ。こういう風に卑怯になることが恋に落ちるということなら、私はこの先どれだけ悪い女になっていくのだろうか。それでも啓介に嫌われないのであれば他の誰かに嫌われてもいいかもしれないと思った。目先のことに囚われるのは愚か者だろう。しかし、愚か者にもそれなりの理由があるというのを身をもって知ったのだ。

「泣くか、啓介。胸なら貸すぞ」
「俺は泣きませんよ」
「そうか」
「ええ」
「なら私が泣こう」

啓介の代わりに泣くわけではなかった。啓介が他の女性に気を取られていると聞いて、私はずっと泣きたくて仕方がなかったのだ。それでもこうして今目の前に啓介は居て、確かに私の瞳を見てくれる。緊張の糸が切れて安心した途端、涙はどこに溜まっていたのか分からないくらいぼろぼろと流れ出た。

泣きたいときに泣けないのがこんなにも辛いことだなんて初めて知った。そして泣きたいときに誰かが傍にいてくれるのがこんなにも嬉しいだなんて。涙を流すという行動は心の中を浄化するというが、まさにその通りだと思った。

抱きすくめられた腕の中、時々啓介が鼻をすする音が聞こえる。どうしようもなく嬉しくて悲しくて切なくて、なかなか泣き止むことができなかった。



End.