Downloading...27%

「あの…お嬢。どうしたんですかこんな夜中に」
「特に理由はない。お前に電話してみたいと思っただけだ」
「はぁ」

赤城のファミレスでの1件以来、何かと啓介に構ってもらうことが多くなった。連絡先は元より知っていたのだがこうして連絡を取るのはほぼ初めてで、どことなく緊張している様子が汲み取れる。

「今、峠か?」
「ええ」
「そうか。邪魔をして悪かったな。切るぞ」
「えっ、ちょっとお嬢!…ってホントに切ったよ。なんなんだ?」

本当に理由なんてなかった。ただ啓介の声を聞いてみれば何か分かるかもしれない、と思って電話しただけなのだ。推薦で合格をもらってしまったからには下手なことはできないし、かといって今更勉強する気にもなれない。正直大学に対する不安だって山ほどだ。こういうときは愛車に跨って飛ばすのが1番なのだろうが、今はそれも叶わない。

「そうか。まずは不安を解消すればいいのだな」

身近なところにいい人がいるではないか、と思い、つい最近登録したばかりの電話番号を引っ張り出して迷わず電話をかけた。





「こんにちは。この間はどうも、ごちそうさまでした」
「いや、安い合格祝いですまなかった」
「そんなことないです!私、甘いもの好きかなんて聞かれたのホント何年ぶりだろってくらいで…」

がさごそと鞄の中を漁り、手土産に持ってきた和菓子を差し出した。いつもお世話になってるのにご挨拶に伺えなくてごめんなさい、と告げると春の木漏れ日よろしく柔らかな表情でどうもありがとうと微笑まれた。啓介も美形だとは思っていたが、兄の方はあれよりもっと、いかにも育ちがよくて紳士という雰囲気だ。

「あ、別に子ども扱いされたのが嫌だったとかそういうんじゃないです。寧ろ嬉しかったです」
ちゃんは落ち着いてるから、周りからはもう大人だと思われてるのかもしれないな」
「そうですね。基本的にはもう大人と同じ扱いです。あとは、経済的な援助を受けるだけで」

涼介さんは、私が持っていた入学生のしおりのようなものを見ながら事細かに大学のことを教えてくれた。不安に思っていた授業内容についても、何も1年次から高等なわけではなく、きちんと講義に出て毎回理解していけばついていけるレベルだと教えてくれる。それに、入学してくる人間は皆同じような頭を持っているのだからその辺は補い合えばいいとも言ってくれた。

店の選び方にしても助手席へのエスコートにしてもさりげなく椅子を引いて荷物を預かってくれるところからしてもこの人はとてもスマートで、やはりいくつも年上なだけあると尊敬の念を抱く。女の子の扱いに慣れていそうではあるがしかしそこまで遊んでいる雰囲気でもない。

「ざっとこんなところかな。何か質問とか、分からないところはない?」
「いえ、とっても分かりやすかったです」
「それはよかった」

私達の会話が一通りまとまったのに気付いて、店の主人がコーヒーのおかわりを持ってきてくれる。私の頼んだ紅茶もすっかり温くなっていたのだが新しいポットとカップを持ってきてくれた。よく気の付く人だ。

「なんだい兄ちゃん、今日はずいぶんと若い子を連れてるじゃないか。あの子は一緒じゃないのかい?」
「ええ。弟が家庭教師をしてて、その生徒なんですよ。来年度から俺の後輩になるそうで」
「兄ちゃんが若くて美人な女の子連れてたなんていいネタになると思ったんだけどねぇ」
「そう言うと思いましたよ」
「まああの子ならそんなこと知っても平然としてそうだがな」
「ですね。残念ながら」

主人と話しながらカップの淵に唇を当てる彼の顔が最上級に優しい雰囲気を纏っているところを、私は見逃さなかった。私に向けられるものとはまるで質の違うその顔に思わずドキリとする。この人ってこんなに柔和な表情ができたんだ、と、うっかり口に出してしまいそうだった。

「ん?どうかした?」
「店のご主人と、とても仲が良さそうだなと思ってました」
「ああ…そうだな。ここに通い始めてもう5年近くになるんだ」
「5年も」
「俺の恋人とも、付き合ってもうすぐ5年になるんだ」
「えっ」

ということはもしかしてさっき店の主人が言っていた「あの子」というのは、この人の恋人のことなのだろうか。それならあの質の違う優しい雰囲気も頷けるかもしれない。それにしてもこの人にあんな表情をさせられる女の人というのは、一体どういう人なんだろう。きっとすごく、素敵な人なんだろうな。

「その人と付き合いだしたのが丁度俺がちゃんくらいの頃でね」

だからつい勝手に親近感が沸くんだ、と言う涼介さんはやはり上等な笑みを浮かべていた。そうして私にもそういう人が現れるとまるで確信したような口ぶりで言うものだからまんまと期待を抱いてしまうのだった。



End.