006/憶測

翌朝。太陽が上り間もなくすると、王太子府に来客があった。シャガードが、カナタに会いたいと言って朝早くから馬を走らせてきていたのである。呼び出されたカナタは、彼の目的に見当のつかないままとにかく部屋を出て応接間に向かった。

「カナタさま、朝早くからの突然の来訪、何卒お許しください。王太子殿下直属の百騎長であられるとお話を伺い、ご多忙な身の貴女に助けていただいたお礼をするため、馳せ参じました」

膝をついて恭しく述べるシャガードの姿を見て、カナタはすっかり恐縮してしまった。

「シャガードさま、どうぞお立ちください。私は確かに殿下の直属の部下ではありますが、シャガードさまはナルサスさまの旧友でいらっしゃる。私なぞに膝をつく必要はございません」
「では。これから少し街を案内したいと存じますが、都合はいかがですかな」
「街なら先日、十分に案内していただいたと思うのですが」
「今日は貴女を是非連れていきたいところがあるのです。俺の知り合いに目利きの武器商人がいて、よければそやつのところで殿下を守る貴女の剣を見立てたい。パルス随一の鍛冶師の一品はもちろん、絹の国の珍しい太刀も取り揃えてある店です」

きっとご満足いただけると思います、と笑顔で付け加えるシャガードに、カナタは何と返事をしようか迷っていた。昨夜のうちにナルサスと海賊船のための作戦は既に練ってあるし、そのための指示も出してグラーゼとその部下が動いてくれている。そして確かに彼女が道中携えていた剣は、長剣も短剣も使いっぱなしでかなり刃が傷んでいる状態だった。

「シャガードさまのお誘いなれば断る理由はありませんが、この立場ゆえ殿下にご許可をいただいてからのお返事でも構いませんか?」
「もちろんです。ここでお待ちしております」

カナタはすぐさま事情をアルスラーンに伝えた。当然のことのようにアルスラーンはカナタの外出を許可し、気を付けて行ってくるのだぞ、という言葉も添えた。

「では、まいりましょう。ここからそう遠くありませんので、どうぞお手を」
「は、はい」

王太子府を出て、シャガードにやはり紳士的に手を取られながら、カナタはその頬を少し染めていた。そうしてそんな二人の姿を、物陰から覗く三つの影がある。

「……軍師殿、尾行とはこれまたいかがなものかな」
「ファランギース…いや、これはカナタを尾行しているのではない。シャガードの奴に気になるところがあってのことで」
「男の言い訳は美しくないぞ、ナルサス卿」
「そういうおぬしらは何故俺と共にいるのだ」

単純に面白そうだから、とは言わず、ファランギースとギーヴは珍しく目を見合わせた。

「俺はカナタの様子に気になるところがあって、ここにいます」
「そうじゃな。先程は軍師殿の旧友に手を取られて頬を染めておった。私が思うに…カナタは大人の男に紳士的な好意を向けられるのに慣れておらぬだけのようじゃ」
「つまりナルサス卿と仲良く見えたのも、ただ単に急に女扱いされて戸惑っていただけだと。ファランギース殿はそう見るわけか。なるほどそれは合点がいく」

ナルサスはその二人のやりとりに、確実に衝撃を受けずにはいられなかった。ペシャワールで彼女を弟子でなくしてから、もはやナルサスこそが誰よりも彼女を一人の女性としてとらえていた。周りには子供だ、少女だと言ったとて、そこに異性愛としての好意が全くなかったわけではない。

ただゆっくりと、大人になりゆくカナタの中で自分の存在が大きくなっていけばいい。そしてカナタもそれに満更でもない様子だと、彼女の気持ちを確かめることもせずそう思っていたのである。ナルサスが憶測で物事を考えたりしないというのは、どうやらこの時ばかりは例外のようであった。

アルスラーン一行の中にカナタがいる状態であればそれでもよかった。ナルサスとカナタの関係性を見て彼女に手を出そうと考える強靭な精神を持った輩などそうそうにいないからだ。しかし相手はナルサス自身も一目置いている旧友なのである。知恵もあり、富もあり、女の扱いにも長け、何よりナルサスが相手だからといって臆することがない。寧ろシャガードの性格を知る限りでは、張り合ってくる可能性が高いときている。

そういう相手が現れ、なおかつ今までナルサスが好意を伝えてこなかったのであれば、あとは誰を選ぶのかはカナタの気持ち次第ということになる。

「店に入ってしまったな。どうするナルサス卿、出て来るのを待つか」
「ギーヴ……いや、俺は王太子府に戻る」

端から見ればどうでもない様子だが、ここまでの道中を共にしてきた二人からすればすっかり落ち込んだ様子で、ナルサスは来た道を戻るために踵を返した。ギーヴとファランギースはやれやれと肩をすくめながらも、同じ道を辿った。

一方、武器商人の店についたカナタは、初めて見るような剣や飛び道具に興味津々という様子で、店の端々にある武器を手にとっては店の主人と談笑し、シャガードと共に来ているということをも最早忘れている様子であった。

「なるほどこれは、鉄鎖術に使う鎖とはまた別物なんですね…。こっちの鎌みたいなのは初めて見ました。刃が真っ直ぐでないところを見ると拷問用でしょうか」
「お嬢ちゃん、見かけによらず詳しいな」
「ええ。装飾の入った武器も、実戦向きではないかもしれませんが綺麗ですね」
「カナタ殿、よければ先日の礼に何か好きなものを選んでください」
「シャガードさま、さすがにそこまでしていただく訳には…」
「貴女の剣が錆びていては、いざというときに王太子殿下をお守りできないのでは?」

カナタは自分の剣の状態を思い出し、確かにその通りだと頷く。そうして武器商人におおよその希望を伝えると、商人は二本の剣を奥から取り出してきた。柄の部分に控えめな装飾の施されたその剣は、絹の国で作られた揃いの長剣と短剣だという。手に取れば癖も少なく、重みも丁度いいものであったので、そのまま鞘につける革具を調整してもらうことにした。
出来上がりを待っている間に、彼女は遠くの方で何かざわめく様子を感じた。すかさず店の扉を開ければ、石畳の道を駆け回る人々が目に入った。

「海賊だ!海賊が出たぞ!」

一人の男性がそう声を上げたのを皮切りに、ギランの街の住民たちも、その場にいた商人たちも、恐れおののくような悲鳴を上げて一目散に建物の中へと逃げ込んでいる。目を凝らすと沖合の遠方に、二十隻ほどの海賊船が見える。カナタはすぐさま状況を確認すると、シャガードに「埋め合わせは必ず!」と言い放ち、一目散に港へと駆け出した。