005/旧友

翌日、一行はかねてより予定していたナルサスの旧友の屋敷を訪れた。広大な屋敷の広い玄関で、大きな扉が開かれて出てきたのは、肌こそ浅黒く焼けているがナルサス同様貴公子さながらの容姿をした、聡明そうな男であった。

「ナルサス、よく来てくれた!歓迎するぞ」
「久しいなシャガード!学院を出て以来か」
「何年ぶりだろうな。噂には聞いておるぞ天才軍師殿。相変わらず、悪知恵を働かせているようだな」
「何を言う。あの頃はおぬしの方がよからぬいたずらばかり考えていただろうに」

出会った途端に親しげに会話をする二人を見て、ナルサスに親しい友がいるなど余程の変わり者かあるいは相当な人格者に違いないと考えていた者も、本当に仲が良さそうだと驚いていた。ひとしきり挨拶をして笑い合うと、シャガードはナルサスの背後にいたアルスラーン殿下にも挨拶をした。アルスラーンは快く迎え入れてくれるシャガードに好意的な挨拶を返すと、彼の目線が自分の隣に注がれ、その瞳が大きく見開かれているのに気付いた。

「シャガード、どうかしたのか?」
「ああ、いえ。そちらの女性は、殿下のお供でしたか」
「シャガードさま、先日はお世話になったというのに名乗りもせず、失礼いたしました。私はアルスラーン殿下にお仕えする、百騎長のカナタと申します」
「なるほど、道理で勇敢な訳だ。俺の方こそ、助けてもらったというのに碌なお礼もできず気をもんでいたところだ、また会えて嬉しい」
「二人は知り合いなのか?」
「はい、殿下。先日私が街で困っていたところを助けていただいたのです。殿下は誠に良い部下をお持ちのようですな。こんなところで立ち話をさせてしまう訳にはいきませんから、どうぞ中へお入りください。お付きの方々も是非」

大きな扉の中に広がる豪奢な空間に一同は案内され、テーブルを囲うように座れば、ギランでしか見かけないような海の幸をふんだんに使った食事が振る舞われた。飲み物も、葡萄酒はもちろんのこと、サトウキビ酒、新鮮な果物を絞ったジュースなどが、絹の国製の高級な瓶に入って運ばれてきた。
食卓を囲みながら、ナルサスは早速シャガードに、兵力を十分に集め運用するため、この街の商人と話をつけてほしいと頼み込む。シャガードは頭を下げるナルサスに、困ったように微笑んで答えた。

「頭を上げてくれ、ナルサス。私とおぬしの仲ではないか」
「では、引き受けてくれるのか」
「断るわけなかろう。他ならぬ、旧友の頼みとあってはな」

しかしシャガードはその直後、言いよどむように口を噤んだ。何かあるのかとアルスラーンが問えば、ギランの港町の発展には奴隷が不可欠であり、奴隷廃止令を出したアルスラーン殿下を好ましく思わない商人も多いという。

「失礼ですが、シャガードさまも殿下の方策には反対なのでしょうか」
「いや、カナタ。私とシャガードは王立学院時代、いつかこの世から奴隷制をなくそう、と誓いあった仲だ」
「…ああ、そうだったな」
「そうでしたか。出過ぎた質問をしてしまい、失礼いたしました」
「それは心強いな」

昔を懐かしむようにやりとりする二人を見て、アルスラーンは喜びを隠し切れぬといった表情でシャガードを見た。シャガードもそれに、力強く答えてみせる。

「ご安心ください殿下。私もパルスの民として、この国のために力を惜しまぬつもりです」
「よろしく頼むぞ、シャガード」

その晴れ渡った夜空のような瞳に浮かぶ期待を、シャガードがどう捉えていたかは、旧友であるナルサスですらまだ知らぬことである。

その夜、旧友との再会をたっぷりと懐かしむように、ナルサスとシャガードは夜更けになっても酒坏を交わしていた。他の者は一時王太子府となった元総督府に戻ったので、二人は椅子に深く腰掛けて、王立学院にいた頃の思い出話に花を咲かせている。

「あの頃は俺が理想ばかりを語り、おぬしが水を差すというのがお決まりになっていたな」
「ああ。奴隷廃止などと口に出したときには全く絵空事を、と思ったものだが、案外そうでもなかったらしい」
「それにしてもナルサス、おぬしまだ結婚していないのか?」
「なっ…!シャガード、俺は今アルスラーン殿下に忠誠を誓い、そのお役に立つことに忙しいのだ」
「立派なことだが、今のは言い訳にしかすぎぬ、と顔に書いてあるぞ。今日殿下のお供にいた女性は二人共とても美しかったではないか」
「ファランギース殿は女神官であるし、カナタはあれはまだ子供だ」

吐き捨てるように言ったその言葉を、シャガードは見逃さなかった。

「いや、カナタ殿はどう見ても大人だ。あれくらいなら手を出したとて何も問題あるまい」
「シャガード、おぬし些か少女趣味が過ぎるのではないか」
「少女だと思ってるのは世界中でお前くらいだ。俺ならカナタ殿を一人の女性として扱ってやれる」
「…何の話だ」
「言っただろう、昨日困っているところを助けてもらったと。あの後、カナタ殿にギランの街を案内したのさ。彼女は初心で可憐で、そして実に聡明だな。ナルサス」

殿下にお仕えしていなければ、商人として、いや俺の側室としてここに置いておきたいくらいだ、とシャガードは大層カナタを気に入った素振りを見せた。それがナルサスの気を逆撫ですることを理解していたのは、旧い仲だからできる絶妙な行間の読みによって為せる技だった。

「いや、あれは今殿下にお仕えする百騎長だ。何を言っても己の信念を曲げない、そういう奴なのだ。おぬしがここに置いておきたいと申し出たとて、きっと首を縦に振るまい」

ナルサスの言葉は半ば自分に言い聞かせるようでもあった。シャガードがカナタに言い寄ったとて、彼女はきっと王都を奪還しパルスが繁栄の礎を再び築くまで、己の意思を優先するに違いない。そう思いたい気持ちがあった。

「別に何も、今すぐという話をしたわけではない。ナルサス、おぬしもしやカナタ殿に気があるのか?」
「気などない」
「では俺がカナタ殿に好意を寄せても構わぬではないか。昨日助けてもらった礼もまだしておらぬし、何なら明日にでも俺の屋敷に招いて改めてもてなそう」

シャガードの口調はすっかりナルサスをからかうそれだった。頭を抱えるふりをして、内心目の前の旧友が本気ではないということが分かった点には安堵しつつ、話を変えようとナルサスは口を開いた。

「ところで、シャガード…やはりお前、奴隷を使っているな」
「まあな。今の俺は商人だ、使わぬわけにはいかぬさ。だが、受け入れてみると、奴隷制度は実に合理的だぞ。これなくして、今のパルスの反映はないと断言できる」
「それが今のおぬしの考えというわけか」
「大人になったということさ。誰もが平等に豊かに暮らせる世界、そんな夢物語を思い描けるのは、若者の特権だよ。あの殿下のようにな」
「夢物語…」
「おぬしだって、まさか本気で殿下の理想に賛同しているわけではないのだろう?」

険しい顔をして何も答えぬナルサスに、シャガードはやや焦ったように続けて声を掛ける。

「おい、おぬし…」
「確かに夢物語かもしれぬな。だがあの方は、心の底からそれを試そうとしているし、私はそんな殿下についていきたいと考えている。それに…俺にも、なんだか親心のようなものも芽生えてな。次の世代の人材を育てていきたい気持ちがある」
「…驚いたな。昔はあれほど、他者の下につくのを嫌い、後輩を冷たくあしらっていたおぬしが」
「まあな。それに驚いているのは、他ならぬ私自身だよ。おぬしの方こそ、まさか商人になるとはな」

ナルサスはかつての自分を思い出していた。確かにシャガードの記憶の中にいる自分は、到底弟子を取ることなど考えられぬ、自分の脳内をただ理論や知識で満たすことに価値を見出していた者だった。

「この世界も、なかなかおもしろいぞ。何より、努力の成果がこうして、形となって手に入る。実にわかりやすい」
「なるほど、おぬしらしい」
「どうだ、おぬしも一緒に。俺達が組んだら、この国どころか、世界中の富を手中にできるかもしれんぞ」
「遠慮させてもらうよ。今の私には、やるべきことがある」
「はっはっは、おぬしにそこまで言わせるとは、あの小さな殿下も相当なものだな」

殿下だけでなく、ナルサスを変えた存在は他にもいる。だがここでシャガードにその話をするのは何処か気が進まなかった。彼は瑠璃杯を置き、そろそろその場を離れるような素振りを見せた。

「ああ、おぬしもいずれ分かるさ。…さて、すっかり長居してしまったな」

ナルサスは椅子から立ち上がると、明日も早いのでとシャガードに挨拶をし、立ち去ろうとする。しかし何かを思い出したように扉の前で振り返り、先刻シャガードの言った「パルスの民としてこの国のために力を惜しまぬ」という言葉に偽りはないかと念を押すような確認をすると、感謝の言葉を短く述べて彼の宅を後にした。