003/土産

「カナタさま、お着替えは終わりましたか?」
「うん、大丈夫だよエラム。変なところない?」
「帯が縦結びになってます。スカートの丈も長すぎますので、少し上で結びなおしましょう。それに上着が中心線からずれているとみっともないです。直してもよろしいですか」
「あ、はい…お願いします」

別室に移ったカナタは、エラムがグラーゼから借りてきたという絹の国の衣服を身に纏い、珍しく恐縮した。思えば山奥にいたころはエラムが裁縫した服しか着たことがなかったし、あとの旅の大半も動きやすい服装ばかりだった。ペシャワール城では甲冑を身にまとうことの方が多かった。そう思い返すと、これまで女性らしい格好をすることなんてなかったな、とカナタは思う。自分ではうまく着られたと思うのに、エラムからすれば直すところだらけというのも頷けた。

「はぁ、師弟でなくなっても結局ナルサスさまとは衝突が絶えないなぁ…」
「ナルサスさまが反対するお気持ちも、分からなくはないです」
「そうだよね、普通に考えたらファランギースが出て行く方が、あの総督も鼻の下伸ばして喜ぶかも。絹の国がどうとか深く考えそうな頭でもなかったし…変な意地張ったかな」
「どちらかと言うと今回の件、変な意地を張ったのはカナタさまではないと存じますよ」
「どういうこと?」
「お分かりにならないのですか?全く、呆れて物も言えませんね…」

いつまで自分に仲裁に入らせるつもりなのか、とエラムは溜め息をついた。何か言いかけるカナタを黙らせようと、慣れた手つきで白粉を手に取り、彼女の頬にそれを伸ばした。眉を整え、瞼と頬に色を乗せ、唇には紅を引く。髪の毛は櫛で整え、ゆるく結ってから髪飾りを添えた。

「はい、できました。我ながら渾身の出来です」
「今更だけど、もう少し露出した服じゃなくていいのかな」
「カナタさまのお顔立ちですと、大胆に露出した服装よりも、こういった慎ましやかでいかにも清廉な女性のふりをする方が合ってます」

淡い青と桃、それに白を基調にした絹の国の衣服は、驚くほど軽く歩く度にふわりと裾が翻った。いつもより少し重たい瞼を持ち上げれば、それにつられて華奢な耳飾りが揺らめいている。カナタとて女として性を授かっているのだから、いつもと違う着飾った自分を見ることは多少の恥ずかしさはあれども嬉しくないわけではなかった。仕上げに口元を隠すようなヴェールをかけられると、カナタはエラムとともに部屋を出た。


一方、二人の女性陣の身支度を待つ部屋には、アルスラーン殿下と男四人がひしめきあっていた。ギーヴはむさ苦しいと文句を溢したが、何よりファランギースの変身した姿が見られるのが楽しみであったし、普段からもう少し格好を変えれば見違えるのではと思っていたカナタの姿が見えるのも心待ちにしていた。そしてその横でどうしてこういうことになったのかと頭を抱えているのがナルサスである。

「アルスラーン殿下、お待たせいたしました」
「ファランギース。すまないな、突然にこんなことを頼んで」
「とんでもないことでございます、殿下。あの舌のよく回る総督の悪事を裁くためとあらば、いくらでもお手伝いさせていただきますゆえ」
「ファランギース殿、なんと麗しいお姿か…!貴女の美貌はそのヴェールで隠そうとしても、天の星のように四方から煌めいて遮ることなどできない」
「おぬし、いつまで経っても独創性に欠ける詩しか読めぬようじゃの」

いつも通りのやりとりが目の前で交わされ、一同は半ば呆れて見える。そうしているうちに、扉の外からはカナタの声が聞こえた。

「殿下、入ってもよろしいでしょうか」

アルスラーンが承諾するのを聞いて、カナタは扉を開けた。一同も扉から入ってくるカナタに注目する。
彼女は着慣れない服装にいつもより歩幅を小さくし、そのまま前に進むとファランギースと並ぶ形で殿下の前に跪いた。

「お待たせして申し訳ございません」

そう言ってはにかんだ顔を見て、アルスラーンも一瞬目を見開いた。確かに目の前の女性はカナタに相違ないが、普段見ている彼女の顔とは全く違った雰囲気のそれに、単純に驚いたのである。

「すごいな、エラムがやったのか?」
「はい。僭越ながら、カナタさまに似合うものを見立てさせていただきました」
「これはこれは…ファランギース殿が女神であるなら、さしずめカナタは妖精かあるいは天使といったところでしょうな。無垢で清純なふりをして、男を誑かすのにぴったりだ」

ギーヴの言うことはいつも通りに口の軽い例えではあったが、二人の対比を言い表すには適当だとその場の者は頷いた。着飾った自分を見られるのが些か気恥ずかしいのか、カナタはその頬を桃のように染めた。その様子がまた、ナルサスからすれば庇護欲を掻き立てられるようで一層気に入らないのであった。

「あの総督の下へ送るとなれば、二人とも十分に目を欺けそうだな」
「うむ、ダリューン。私もそう思う。ファランギースもカナタも、自衛には何も心配はないが、安全のためというのであればいっそ二人で行くのはどうだろう」
「それはいい案ですな、殿下。男というのは、誰しも両脇に美女を抱えたい欲求を持っているもの。すっかりご機嫌を取られて、俺が盗みを働いても気前よく見逃してくれるかもしれません」
「私も、お二人が共に入るとなればいざというときに動きやすい。異論はありません」

ダリューン、アルスラーン、ギーヴ、そしてジャスワント。四名の意見は「二人を同時に活用する」ということで固まりかけていた。一方で口を開かないナルサスは、自身の葛藤になかなか打ち勝てない様子でいる。わなわなと震えるその肩を見て、エラムが心配そうに声をかける。

「ナルサスさま、いかがなさいましたか」
「エラム…お前は本気を出しすぎた。この手だけは使わないでおこうと、心に決めていたが致し方ない」

ナルサスはその場で一つ呼吸を置くと、いつも以上に凄味を含んだ声で述べた。

「殿下、恐れながら申し上げます。軍機卿ナルサスの命によって、百騎長カナタの今回の策への登用を却下させていただきたく存じます。ご許可をいただけますか」

そこにいる者全員が、その言葉が本当にナルサスの口から出たのかと疑うほどの地位の濫用であった。