山奥で3人で

※プラトニック・ガール001の後、山奥でナルサスとエラム、夢主が過ごしている間のお話です

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Episode.1

「ナルサスさま、本当にあの女の人、ここに泊まらせるんですか?」
「どこにも行く宛はないからな。寝て起きたらここにいた、というなら、同じ方法で戻ると考えるのが自然だろう」

二人が話しているのは「異世界からやってきた」と話す、今朝突然に彼らの隠れ家に現れた少女のことだった。
まだ顔つきに幼さの残るエラムの甲高い声は、やや不審な気持ちを孕んでいたが、エラムとて確かに短時間ではあれ少女と接した限り、不審ではあっても危険のある人物には思えなかった。この家の主であるナルサスは、数日するうちに同じように突然姿を消すかもしれない少女に、奇妙なこともあるものだと思いつつ、寝床を与えるくらい何ともないと考えていた。

「少しの間だが、俺の客人だ。もてなしてやってくれるか」
「もちろんです。私の主は、ナルサスさまですから」

エラムは主からそう言われ、張り切って彼女の寝る部屋を掃除し、綺麗に洗濯したシーツを一つの皺もなく整え、いつも以上に腕を振るって料理をした。少女は色々なことにいちいち戸惑っているようでもあったが、エラムのような少年が色々と世話を焼いてくれていることに対して、その姿が可愛らしく思えて寂しさも紛れた。

ところが数日を過ごしても、少女は寝て起きたとしてその姿を消すことはなかった。何日かのうちに、朝食を食べる少女の目が赤く腫れていることもあった。突然のことに驚いていたのを通り越して、彼女の抱える現実に気付き、寂しくなったのかもしれない。ナルサスもエラムもそんな彼女にかける言葉がなかった。エラムは精一杯、少女に何がおいしかったかと問いかけ、気に入ったような食材があれば進んでそれを料理した。

「ありがとうエラム。嬉しい」

それに気付いて瞳にいっぱい涙をためて、少女は微笑んでみせた。エラムは胸が締め付けられるようだった。そのうちに少女は、山小屋での日々で時間を持て余すからと、エラムに教わって部屋の掃除をするようになった。

「ここはナルサスさまの書斎です。古い本が多いので、こうして柔らかい布で拭いていくんです」
「なるほど…こういう感じかな。『シンドゥラの歴史』に『チュルク全土地図』、シンドゥラとかチュルクとかって土地の名前なの?」

何気なく少女が問いかければ、エラムの瞳は大きく見開かれ、次の瞬間には「ナルサスさまー!」と大きな声で叫びながら部屋を飛び出した。「何!この本に書いてある文字が読めるのか!」と同じく驚きを隠せぬ顔で現れたナルサスに、少女は棚に置いてあるシンドゥラ語の本を読み上げてみせた。

「そうか、俺の書斎にある本なら自由に読むといい。暇潰しくらいにはなるだろう」

少女は喜んで、その日から空いた時間があると進んで書斎を掃除し、気になった本を手に取った。ここがパルス国という国の中に位置すること、近くにはマルヤムという別の国があって、イアルダボート教という宗教を信仰しているということ。日に日に分かるこの世界は、少女が映画や小説の中でしか見たことがない、ファンタジーの世界のようで飽きが来なかった。

「ナルサス…さま!この本に書いてある三国の争いというのが私は気に入りました。何か本に書いてあること以外で知っていることがあれば、教えてくださいませんか?」
「それは俺がやったことだと、ちゃんとどこかに書いてあったか?」
「はい、ありました。ナルサスさまからお話を聞いたら、私が何かに書き留めておいて、本に挟んで保管しておきましょう。これはきっと大事に残していった方がいい、とても魅力的な物語です」
「異国の者からもそう言ってもらえるとは光栄だな。さて、何から話そうか―――」



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Episode.2

山奥の小屋で暮らすようになって二週間もすると、少女はすっかりそこの生活にも馴染んできたように見えた。落ち着きを見せるようになった少女に、エラムは好奇心を抑えきれず、元の世界のことをよく聞くようになった。

「それでは、その世界では十八歳までは学業に専念しているのですか?」
「絶対に、って決まってるのは十五歳までなんだけど…ほとんどの人が十八歳か、もう一つ上の学校に行って長い人だと二十五、六まで学んでる人もいるかな」
「そんなに…その、学校を出た後は何をするのですか?」
「大体の人が働くよ。自分で入りたい会社…うーん、大きな商人の団体みたいなものに所属して、働いてお金をもらうの」
「そうすると、そこで一人前ということになるのでしょうか」
「一人前、そうね。そのまま両親や家族と一緒に暮らす人もいるし…」

しかし両親、という単語を口に出した瞬間、少女の瞳は揺らいだ。そのままぽろぽろと涙の粒を流す彼女を見て、エラムはぎょっとしたように肩を上げ、その代わりに眉尻を下げると、何やらおろおろと謝ったり泣き止んでくださいと慌てふためいている。
エラムが彼女の琴線に触れるようなことを聞いてしまうのは今回が初めてではないのだが、まだ幼い少年はその幾度かの経験を経たとしても、やはり泣いている少女の慰め方など分かるはずもなかった。

「や、エラム。またいたいけな少女を泣かせているな」
「なっ、ナルサスさま!」
「その年で女泣かせとは、全く将来が楽しみなことだ」
「からかわないでください!本当に困っているんですから…」

エラムはナルサスに反抗しながらも、少女の頬を伝う涙を布で拭った。しかし拭えど拭えど、一度せきを切ってしまったそれは収まる様子もない。釣られて泣き出してしまいそうな己の待童を目の前に、ナルサスはやれやれと肩をすくめた。そうして、少女の傍に寄ると、その頭にぽんと手を置く。ゆっくりと髪を撫でながら、ナルサスはこう言った。

「元の世界にいる両親が恋しいなど、当たり前のことだ。我慢せずに泣けば良い」

優しい声色に、少女の瞳からは更に大粒の涙が流れたが、ナルサスはそれを気にせず彼女の身体を抱きとめ、落ち着くまでその胸を貸した。
傍で見ていたエラムはその手際の良さに、感心と尊敬の念を寄せるしかなかった。そして、やっぱりナルサスさまはすごい御方だ、と自らが仕える主人の株を勝手に上げている。
ナルサスはそんなエラムのことを仕方のない奴め、と苦笑いして見ていたが、何も言ってやらぬのもかわいそうだと思い、少女のために温かい飲み物を入れてくるよう命じた。エラムは大急ぎで台所に行って戻ってくると、泣き止んだ少女におずおずと飲み物を手渡した。

「ごめんなさい、また泣いてしまって…」
「いえ、私の方こそ失礼いたしました。貴女を泣かせたかったわけではないんです」
「大丈夫。エラムがそんなこと思わないって、分かってるよ」
「でも」
「…じゃあ、もし私がまた泣いてしまったら、今度はエラムの胸を貸してもらおうかな。いい?」
「は、はい!私なんかでよければ…!」

山奥に隠遁してしまった自分の側に一生いると言うエラムに、異性と接する経験をどうさせてやろうかと、これまでに何度かナルサスは思案したことがあった。それが今、目の前で交わされるなんとも微笑ましいやり取りを見て、そこに色恋の沙汰が生まれでもしたら主として何を説いてやろうか、などと考えている。
全く人生とは先が見えているようで、急に穴に落ちるようなこともある。しかし落ちた穴の中に何が潜んでいるのかを、しばらくは眺めていてもいい、とナルサスは一人で笑みを浮かべてそう思うのであった。



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Episode.3


「なに、もう全部読んでしまったのか?」

こくりと少女が頷くと、さすがのナルサスもそれには驚いたようだった。

書斎の本を好きに読むといい、と言われてから少女は日々そこにある書物に夢中になっていた。しかし彼女はナルサスの書斎の天井まで届く棚にあった書物を、たったの一ヶ月で読んでしまったというのである。

少女はこの世界に来て、自分に不思議な能力があることに気付いていた。一つ目はこの世界の文字であればどんなものでも読めるし、意味が理解できること。そして二つ目は、この世界の知識であれば、自分でも驚くほどのスピードで把握し、記憶することができることだった。

「パルス国の建国からの歴史も、地理も、地方の諸侯や歴戦の戦士まで…本当におぬし、読んだことを全て覚えているのか。すごいな」
「ありがとうございます。他の書物も読みたいと思ったのですが、何かないでしょうか」
「俺がここに持ってきたものはあれで全部だからな…。そうだ、エラム」
「何でしょう、ナルサスさま」
「明日、街に行くだろう。ここに書いてある本があれば買ってきてくれぬか」

そう言ってナルサスはいくつかの書物の題名の書かれた小さな紙をエラムに渡した。エラムは頷くと、少女にも「楽しみにしていてください」と笑顔で伝えた。

翌日、エラムはいつもよりも少し遅くに戻ってくると、ナルサスから頼まれていた書物を全て手に持って、自慢げにそれを彼の主に渡した。ナルサスはよもや自分の手元に増えると思っていなかった兵法書などを開き、パラパラとめくって中を確認すると、書斎の棚にそれを置いた。

「俺が王立学院時代に読んでいたものだが、兵法の基礎がよく書かれている本だ。それを読んだら今度は盤上で行う模擬戦のやり方を教えてやろう。退屈しのぎにはなるだろうて」
「ナルサスさま、ありがとうございます。早速読んでみます」
「いや…」

言葉を濁すナルサスを、少女は不思議そうな顔をして見たが、新たに手に入れたその本を読みたい欲求には勝てなかったようですぐさま書斎に行ってしまった。

「もう関わることはないと思っていたが、不思議なものだな」

ナルサスは自分でも何故あの少女に兵法書を与えようと思ったのか、疑問に思っていた。単なる気まぐれ、暇潰し。そう思ってしまえば簡単に理由も片付くのだが、何かそうではないものを自分の中に感じているのは確かだった。

「ナルサスさま、今日はもう絵は終わりですか?」
「ああ。これから模擬戦をすると約束しているのでな」
「なんだか最近、楽しそうですね」

ナルサスさまが絵を描く時以外でそんなに生き生きとしていらっしゃるのは珍しい、とエラムは言った。ナルサスはその言葉に自分でも驚きつつ、確かに飲み込みの早いあの少女に何かを教えてやるのは楽しいと、そう感じていたのに気付く。
自分よりも自分のことを見ている者がいるというのは些かくすぐったいものだ、と独りごちながら、書斎で彼を待つ少女の元に向かうのだった。

End.