最強マルダーン計画 9

「すぐに帰ってきてしまってよかったのか、ミレイ」
「お祖父様の加減も快方に向かわれましたので、あれ以上の長居は無用でございます」

程なくしてパルスの土を再び踏みしめた二人はそんな会話を交わしながら城へと戻った。ダリューンが彼女の祖父の前で決心を伝えた後、どういうことか老人は見る見るうちに体の自由を取り戻し、彼らが帰る頃―――といってもほとんど一、二日後の話ではあるが、その頃には起き上がって見送りをするほど元気な姿になっていた。すっかり精彩を取り戻した祖父から『曾孫の名がパルス中に轟き、絹の国にその名が噂されるまではくたばらん』という言葉を受け取ったからこそ、ミレイも安心して家を発てるというものだったのだが。

陽が落ちて城壁が茜色に染まり始めた頃、彼らは城内の十字路に差し掛かる。ミレイの部屋はそこから左へ、ダリューンの部屋へは右に続く廊下を進まねばならない。一時足を止め、流れるようなしかし毅然とした動作でミレイが一礼した。

「ではダリューンさま。長旅でお疲れでしょう、今宵はごゆるりとお休みくださいませ」
「待て、ミレイ」
「何でございましょう」
「今夜は俺の部屋に来ないか」

その言葉を聞くやいなやミレイは勢い良く頭を上げると、一瞬にして松明に火がついたように赤くなった。わなわなと口を開けたまま唇を震わせ、嬉しさと恥ずかしさとあとは何か達成感や戸惑いのようなものを整頓できぬままその顔に浮かべている。

「つまりそのっ、それは!ダリューンさま!」
「お、おお…どうした」

羞恥の表情から一変、なりふり構っていられない大きな喜びを一面に見せるミレイは大声を張り上げた。

「私は先に支度を整えますゆえ、ダリューンさまは一度湯浴みなさってからおいでください!よろしいですか、あまり早く来ては困ります!」
「何の支度だというのだ一体。それに風呂ならお前も入ってからにすればよかろう」
「いいえ!心の準備をする時間がなくっては、ミレイはダリューンさまどころか、この事実すら受け入れられそうにありませぬ!」

ダリューンは純粋に部屋に招かれたという歓喜だけが彼女の感情を占めているのかと思ったが、全くそうだという訳でもない様子だった。彼女からしたら己の人生において一大事になりうることで、それはただの恋が実ったような単純なことではないのだ。
とにかくダリューンはいつになく強引なミレイに背中を押され、浴場へと連れられていった。急いでは戻って来ないようにしつこく言われて、ダリューンは仕方なしになるべく長く湯浴みをするようには努めたが、いくら彼とて限界がある。湯浴みを終えた後も限りなく時間を掛けて着替え、斜め上に傾いた月を見上げると、すっかり気持ちの整理のついているダリューンはさすがにもういいだろうと部屋に向かった。

王城の一画にある彼の部屋は、扉の両端にその名に見合うような甲冑や獅子の像が置かれている。一時の居住のために用意されたとはいえ、今はもう自分にとっての帰る場所にあの大輪のような笑顔を見せる彼女がいるのならどこだって構わないと思えた。

ゆっくりと部屋の扉を開ければ、中の空気はほんのり香りを帯びていた。そうして巨大な天蓋に包まれた寝台へと向かいその中を覗くと、ダリューンに背を向けるようにして座るミレイの姿がある。彼女のいう心の準備とやらは終わったのかと彼は伺うように優しくその名を呼んだ。
しかし彼女は、ダリューンに名を呼ばれても振り向くどころか微動だにしない。

「…ミレイ?おい、ミレイ」

もしかするとまだ気持ちが落ち着かないのかと思い、ダリューンはその肩に手をかけてゆっくりと顔を覗き込む。赤面しているか、はたまた悶々としているのかと思われたそこには、安らかな睡眠を得た少女の顔があった。

「座ったまま寝てしまうとは…余程疲れていたのだろうな」

ダリューンは己の体に持て余すところがないわけではなかったが、そんなことよりも静かな寝息を立てる少女への愛しさの方が勝り、そのままミレイの体をゆっくりと寝台に倒した。そして湖のほとりでしてやったように、彼女の体を大切に抱きしめて眠りにつくのであった。


翌朝。洗いたてのような太陽の光で目を覚ましたミレイは、逞しい身体に包まれる感覚と、目の前にある愛しい人の寝顔にすっかり酔いしれていた。昨夜のことを思い出すと、まるで夢のようだと彼女は思う。そう、本当に夢だったのかもしれない。ぼうっとする頭から段々ともやが晴れていくうち、彼女は遂に気付いた。違う、あれは夢だと。

「ダリューンさま!起きてください!!」

あまりにも近い距離から発されるその声は、今までダリューンが経験した目覚めの音の中でも最もけたたましいものに思われた。有事かと飛び起きたダリューンであったが、部屋の中に兵がいるわけでもなく、立ち上がって窓を覗いても外の景色は平穏そのものだ。

「どうしたというのだ、ミレイ。何かあったのか?」
「何もなかったのでございます!」

昨夜のことです、と付け加えられてようやく彼は目の前にいる彼女の表情に無念さと屈辱の混じったようなものが並んでいることに納得する。つまりは初夜に寝てしまったことに対して気持ちの整理がつかない状態だということだろう。寝台に乗ったまま膝をついた格好で涙目になっているミレイに、ダリューンは小さく謝罪をした。

「お前も長旅で疲れていたであろう、無理やり起こすのは酷と思ってだな…すまぬ」
「…ダリューンさまのお心遣いはしかと受け止めます。しかし、今は休息も取り、疲れも癒えております。初夜でないことは悔やまれますが…朝も夜の続きと心得ておりまするゆえ」

シュル、と音を立てて解かれたミレイの腰紐が寝台に落ちる。開かれた胸元から見える曲線に、ダリューンは思わず唾を飲み込んだ。そうして自分も寝台の端に膝をつくと、吸い込まれるように彼女の身体を押し倒す。乱暴とまではいかないまでも、正直な欲求が現れたようなその動作にミレイは早速機嫌を直したようである。

「では、余すところなく注ぎ込んでくださいまし、旦那さま」

相変わらず彼女らしい言葉選びだと思ったが、一度スイッチが入れば止まるはずもない己の欲望をダリューンは自覚していた。組み敷いた少女の首元に噛み付くような勢いで、その身体を求めようと―――

「ダリューン、入るぞ。戻ってきているのなら約束を果たしてもらおうではないか」
「あっナルサスさま!突然に開けるのはいくら何でも無礼では…って」

そう、求めようとした直後に勢いよく部屋の扉が開け放たれ、更に一瞬間を置いて響き渡ったのは突沸したような少年の絶叫だった。そうして原因を作ったナルサス本人は、ただ新しい玩具を見つけたような、無邪気とは程遠い笑みを浮かべているのであった。

以上で、万騎長ダリューンの受難を描いた物語は一時その区切りを迎える。彼の受難は残念ながら全てを終えたわけではないのだが、それはまた別の話。

End.