最強マルダーン計画 3

陽光降り注ぐある日。パルス一の色男と自称する宮廷楽士ギーヴは、珍しく王宮に赴いていた。一応はアルスラーン陛下に報告という形式になっていたが、彼がする『報告』は各地の土産話くらいだ。しかしながら国王陛下はそれをいたく楽しみにしていた。
その日もギーヴは無事に報告を終え、これから夜の街に繰り出そうかと王宮内を歩いていた。そんな彼の元へ、何やら含みのある笑みをたたえた宮廷画家・兼副宰相ナルサスが通りかかる。当然のように彼はギーヴの前で歩みを止めた。

「ギーヴ、久しいな」
「これはこれはナルサス卿。何か面白いことでもあったのか」
「既に面白いし、これから面白くしかならんことだ」
「是非とも聞かせてくれ」

彼からの情報により、夜の街にいざ行かんと考えていたはずのギーヴの行き先は呆気なく変更された。城から歩いていくらもかからぬ、パルスの誇る戦士の中の戦士――ダリューンの屋敷へ彼は向かったのだ。ナルサスは行けば分かると言ってその先に何があるのかを教えなかったが、あの御方にそれほどまでに言わせるような面白いことを俺が放っておくはずがないなあ、と、そんなことを考えているうちに屋敷の前に到着する。

屋敷の前にと言ったが、正確には門の前だ。そこで立ち止まって中の様子を伺っているギーヴは、背後に気配を消した少女が近付いていることに気付かなかった。

「そこで何をしているのです」

突如聞こえた声に振り返ると、そこには将来有望そうな少女の姿があった。そうして一寸考え込んだギーヴは、これはもう自分の守備範囲内だと判断する。

「このようなところで貴女のような可愛らしい御方に出会えるとは。北方を巡礼して遥々パルスに舞い戻った甲斐がございました。私は旅の楽士・ギーヴと申しま」
「軟派な輩め…怪しい」

ミレイはこの年にしてなかなかに、審美眼というものを備えているかもしれなかった。絹の国にいた頃、武人の家系に育った彼女が出会う男と言えば己の存在理由はその強さというばかりの男であったため、ギーヴのような存在はかえって珍しいはずだった。しかしとにかく彼の軽薄さというのは初対面の彼女に一瞬で伝わったようである。
警戒心をむき出しにする彼女がただならぬ武人の空気を纏っているのを認めると、ギーヴはぎょっとして両方の手のひらを体の前に立てた。

「お待ちください、俺は女性に向ける剣は―――」
「問答無用。お覚悟なさい」

彼女はほとんど丸腰であったが、すぐさま隙のない構えを取るとその見た目からは想像できないほど洗練された体術を繰り出す。突然のことに防ぐ術も持たぬギーヴは、彼女の鉄拳を食らって見事なほどよく飛んだ。

「なんと強い女性だ…ぐはっ…そ、そんなところも素敵だ…」
「まだ諦めぬというのですか、根性だけは見上げたものです。せめて苦しまぬようとどめを刺すのが我が心得」
「ミレイ!それにギーヴか?!おぬしら一体何をしているんだ」

屋敷の主の帰還によりギーヴの生命の危機は去った。一先ず屋敷に入り、ダリューンがそれぞれに事情を説明するとミレイは顔を真っ青にしてギーヴに頭を下げる。その動作の素早さたるや、普段飄々としている彼が目を白黒させるほどであった。

「ダリューンさまの朋友とはつゆ知らず、大変失礼なことを」

かくなる上はこの身を持って償います、と小刀に手をかけそうになるミレイをダリューンが制止した。

「こやつは殺しても死なんような男だ。気にすることはない」
「ひどいではないか、ダリューン卿」

ギーヴは口を尖らせて文句を言ったが、それよりも恐らく『これから面白くしかならない』とナルサスに言わしめた少女に興味津々であった。じっとミレイの顔を見つめると、彼女は再び慌てて頭を下げる。

「改めましてギーヴさま。私は絹の国より、我が家系に最強の子孫を繁栄させるためにダリューンさまの元を訪れたミレイと申します。以後お見知りおきを」
「なに?!つまりミレイ殿、貴女はこのダリューン卿に婚姻を申し込みたいというのか」
「婚姻が必要ならそれも辞さぬ覚悟。しかしながら、先ずはダリューンさまと子を成したいというのが望みではございます」

ギーヴはその言葉に間もなく爆笑してしまう。ミレイは何を笑われているのか分からず、ダリューンは「俺はもう断ったのだぞ」とせめてもの己の正当性を主張した。

結局その夜はギーヴとダリューンの久々の顔合わせということもあり屋敷で食事をすることになった。ミレイはダリューンの友人であり国王陛下の忠臣であるギーヴが来たとあって、普段の数倍張り切って調理場に立つ。酒は文句なしに美味い、料理はこれまで食べたうちで最も美味いと素直に世辞を述べるギーヴに、ミレイはすっかり気を許した。

一通り彼らの食が止むと彼女は先にお部屋に戻らせていただきます、とダリューンに許可を取って席を下がった。
その後も葡萄酒を飲み交わす二人話題に上がるのは、当然ながら彼女のことである。

「あれほど真っ当な家系の娘で、武芸に秀でていて、飯もうまい。それに何より美人だ。まだちと幼いが…あと二、三年もすれば、そんなことは気にならなくなる。ダリューン卿の子種のひとつやふたつくらい、くれてやればよいではないか」
「おぬしのそれと一緒にするな。俺には陛下をお守りするという、何よりも優先せねばならん役目がある。中途半端な気持ちで向き合っては、彼女に対する無礼というものだ」
「相変わらず難儀な性格だな。万騎長殿」

意外にもあの少女に真面目に向き合っているダリューンの様子を見て、ギーヴは変わらぬ律儀さを懐かしむとともに笑うのであった。


またある日もダリューンは、城で出兵の計画書を仕上げると屋敷に戻った。夕方までは今日の寝床をどうしようかと悩む気持ちがあるのだが、どうにも腹が減ると頭に浮かぶのはミレイの顔、ではなく彼女の手料理だった。抗いがたい美味さのあるそれを、ダリューンの頭が求めなくとも腹が求めている。しかしながら動機がどうであれ帰る先は他でもない自分の屋敷なのだ。何を遠慮することがある、とそう言い聞かせてダリューンは帰路についた。

「ダリューンさま、おかえりなさいませ」

家に帰ると屋敷には明かりが灯っていて、温かい料理が用意されている。何よりミレイは研究熱心で、ダリューンが料理を食べる様子を見て、どの料理を一番先に食べるか、どんな味付けのものを美味しいと言ってくれたかを逐一書き留め、ものの見事にダリューンの胃袋を掴んでいた。
彼はさすがに胃袋を掌握されていることは理解していたが、日々体を使う仕事が多い中、美味い料理に抗う術は持ち合わせていなかった。

「そういえばミレイ。先日ギーヴと会った時、よくあの男相手に闘ったな」
「ギーヴさまには非礼を働き何と申し上げて良いのか分かりませぬが…。私は一通りの武術の心得はございますゆえ、どんな相手にも怯むことはございません」

もしかして結構腕が立つんじゃないか、とダリューンはその腕のほどが気になりだす。身のこなしといい心構えといい、ミレイはその辺りの兵士よりよほど武人たる雰囲気があった。夜の、とつかなければ一度手合わせをしてもいいやもしれぬと、ダリューンは絶妙に焼き上げられた鶏肉にかぶりつきながら考えていた。

「ダリューンさま?」

いつの間にかダリューンは鋭い眼光で彼女のことを見つめていたようだった。ミレイの少し焦るような声にハッと我に返ると、彼は獲物を見定めるような視線を取り下げる。

「すまん、驚かせたか」
「い、いえ。食事中ではありますが、お望みとあらば私はいつでも」
「違うぞ!断じてそういう意味で見ていたのではない!」
「ダリューンさまの熱い戦士の心意気に満ちた瞳…分かりますとも、私のことをようやく捕らえようとしてくださったのですね!」
「おおおおいこら軽率に脱ぐんじゃない!!」

顕になった肌を隠すものを探すが、辺りに手頃な布もなくダリューンは急いで視線を逸した。ミレイの方はダリューンが脱ぐなと言うのであればと、渋々ながらではあるがはだけた衣服を元通りにする。こういうやけに素直なところがあるので、ダリューンはミレイのことを何となく放っておけないと思うのだが、彼女にはそんな気苦労にも近い彼の感情を知る由もなかった。

そんなことがあってもダリューンは夕方頃になるとどうにも料理の誘惑に勝てず、屋敷に戻る日々をしばらく送った。そのうちに帰りを出迎えてくれる彼女の満面の笑みも、夜伽を迫ってくる様子も何とはない日常の風景に成り果てていることに気付いてはいたのだが、相変わらず彼女の誘いには乗らないまま、己に都合のいいことばかりをしているという罪悪感に苛まれていくのであった。