護りのマリアージュ

万騎長サームは、どこの誰に恥じることもない立派な家柄を持った男であった。代々パルス王家に使える騎士の家系に生まれ、厚い忠義を尽くし生涯を全うする。そういう風にすることが何よりもの自己価値だと、教え説かれて育った男である。彼への王の信頼は当然に厚く、特にエクバターナにおける防衛戦において彼の右に出るものはいないと言われるほど、その忠義心の深さを守りの強固さにそのまま変えられる知識も実力も伴った、とにかく誰に後ろ指を指されることもない立派な男だった。

そんな彼である。人柄は言うまでもなく堅実であり、名家の子息ならではの余裕と振る舞いなどというものは物心つくときには既に身につけていた。年頃になれば宮女や貴族の女性からとかく好意の視線を向けられ、数をこなすうちに女性の扱いに関しても紳士的で細やかな対応はお手の物となっていた。同じ万騎長ではあるが女性への対応に関して彼と大局的な位置にあるだろうクバードの言葉を借りれば「しゃらくさい」という表現になるのだが、サームの物腰柔らかで紳士的な人柄は身分の高い女性だけに留まらず城下町に暮らす女性たちの話題にも上るほどであったため、「サームさまと結婚すれば幸せになれる」というのは最早パルス女性の間で常識と化しているほどであった。

「サームよ、おぬしまた王宮内で女性を卒倒させたそうじゃな」
「ヴァフリーズ様…あれはたまたま、貧血でうずくまっていた宮女に声をかけただけのことです」
「城下町の花屋に行ったら花の蕾が一斉に綻んだ、という話もあったのう」

王宮から離れれば離れるほど、比例して自身の姿とかけ離れていく噂話にサームは頭を抱えた。それを大将軍であるヴァフリーズが知っているほどなのだから、大方どの万騎長に出会っても同じことを言われるに違いない。一礼をしてその場を離れ、いつの間にか生命の神になってしまっている己をさてどう否定したものかと考えていると、見覚えのある急使に声を掛けられた。急使の持っていた書簡を受け取りその中身を確認したサームは、誰にも気付かれないように一際大きく溜め息を吐いた。

サームに届いたのは、端的に言えば見合いの席が決まったという報せだった。最近になってこそ減っていたが、一時は家の名を多少知っているだけの女性と気が付けば日替わりで食事をしているような時期もあった。この年まで正式に嫁を迎えていない自分に非があることもサームは理解しているつもりだ。しかしながら、見ず知らずの女性と内容のない世間話をした末に断りの一報を入れるという、彼にとって結末の見えている無為な時間を過ごさねばならぬと思えば、多少『結婚』というものに対して足が遠のくくらいは大目に見てほしいものだとも思っていた。

「サームよ、本日の令嬢はおぬしからするとまだ若く感じられるかもしれん。しかし先方も縁談には熱心でな。お前が決めればすぐにでも婚礼の儀を、と申し出てくださっている。失礼のないように」
「かしこまりました、父上。その名に恥じぬよう振る舞わせていただきます」

いつもの茶番だ、とサームは表情に出さず愚痴った。彼は冷静沈着で穏やかだと評されることが多く、それが彼の本質ではないと見抜かれることは少なかった。内に秘めたる熱い部分を知っているのは同じ立場の戦士くらいなものである。
相手の令嬢がどんな娘かと言うと、サームの父の弁によれば名高い諸侯の末娘だということだった。なるほど家柄の釣り合いも問題なく、恐らくこの縁談を受ければ誰に文句を言われることもない取り合わせだ、と。サームはそれに対してもまた毒を吐きたい気持ちであった。ここまで来るともう会わずに決めてしまってもいいという投げやりな気持ちすらも己の心に浮上してくるが、さすがにそんなことをしては先方への義理が立たぬということも理解していた。全く身動きの取れぬことばかりである。

しかしいざ目の前にその姿を認めたとき、サームはさすがに驚愕した。そこにいたのはまだ初潮を迎えているかどうかも怪しいほどの幼い少女だったのだ。今宵のために着飾ってそれなりに仕立て上げられているものの、パッと見た雰囲気では自分の二十も下くらいの年齢に思われた。少女はそれでもさすが諸侯の娘という雰囲気でサームに対して折り目正しい挨拶を投げかけ、それに対してどちらかといえば彼の方が気後れしてしまうほどであった。

「娘は大変気立てもよく、政事や宮廷の作法にも精通しております。万騎長であるご子息との縁があれば、これ以上の取り合わせはないと、恐れ多くも自負しておりますよ」
「ほう、左様ですか。さぞや優秀な……」

当人たちを差し置いてひたすらに外交言葉を交わし合う父親たちに、サームはとにかく時が過ぎるのを耐えていた。目の前の少女はどんな顔をしているのかと見やれば、当然ながら緊張した面持ちで時々その肩を震わせていた。まるで人形のように整った顔立ちの彼女が年相応に笑えば、どんな風だろうとサームは想像してみる。きっとそれは見る者を幸せな気持ちにし、その笑顔を守っていきたいという気持ちを芽生えさせるだろうなと彼は思った。
生憎彼女は顔の筋肉をこれでもかというほど強張らせていたので、外見から確認できるのはその大きくて幼さのある瞳があちこちへ視線を彷徨わせる様子だけだったのだが。

まだ子供と呼んで然るべき齢の者が、家のために見合いをするのは珍しい話ではなかった。しかし先程から茶を持つ手すらも震わせているその姿を見ると、サームの中ではこの場のくだらなさよりも少女への哀れみが勝ってしまった。仕方なしに一つ咳払いをし、おもむろに口を開く。

「ご息女の優れた人となりは十分に承知いたしました。ここはどうか席を外していただけませぬか。後は直接、当人同士で話をしたい」
「そうか、それもそうだな。では我々はこれで…」
「失礼のないようにな、ソニア」
「…はい、お父様」

二人きりになった部屋の中は、沈黙に包まれた。ソニアと呼ばれた少女は精一杯声を振り絞って父親に返事をした後は変わらず口を固く結んでいた。歴戦の将もこの時ばかりはどう切り出したものかと視線を彷徨わせていたが、思いがけず先に口を開いたのは少女の方だった。

「サームさま、あの…申し訳ありません。私のような子供が出て来て、多忙な貴方さまにご迷惑をお掛けしてしまいました。お家のための機会だというのは重々承知していらっしゃるとは存じますが、この場を借りてどうか非礼を詫びさせてください」
「ああ、いや。ソニア殿が謝るようなことでもないであろう。貴女がお父上の決められたことにただ従う、それに何の非があるというのか」

ソニアは年の割には随分としっかりとした物言いをする娘だった。サームはそもそも突然に聞こえた彼女の声の持つ強さに驚いたが、それ以上に彼の発言後、先程まであちこちを漂っていた瞳が突然自分の瞳孔を確実に捉えていることにも驚いていた。

「違うのです。私が非礼を詫びたいと申し出たのは、サームさまとの縁談を…その、お断りしたく存じているからです」

王都の強固たる守り手と名高い万騎長は、まるで脳天を小突かれたように瞬きを繰り返した。これまでこと縁談に関しては断ることばかりの人生を歩んできた男に、年端も行かない少女が先手を打ったのである。元々そういうつもりだったのに先に言われるとサームはどうにも理由が気になる性で、彼女に向かってどうしてかと問うた。少女は間髪を入れず次のように述べる。

「私は諸侯の家に生まれ、幼い頃からいつかは地位のある殿方へ嫁ぐのだと育てられてまいりました。しかし、そんなことよりも今は学びに興味がございます。反骨心ゆえの理想かもしれませんが、いつか医術の心得を身に付け、貧しい人々のために力を尽くすのが私の夢なのです」
「失礼、ソニア殿。ご立派な心得であるとは存ずるが、お父上はそのことをご存知でいらっしゃるのか」
「父上は知っていますが、泡沫の夢と捉えているようです…残念なことですが、私には持ち掛けられた縁談全てに、断りを入れるくらいしか手がありません」

少女の父親の地位からして、確かに並の家柄であれば彼女の方から断りを入れても波風が立つようなことはないのである。それどころかソニアの幼さを考えれば、まだ縁談など早かったと捉えられるのが普通だろう。

「しかしお相手がサームさまとあらば…さすがに後日使いをやってという訳にもいかないことくらい、私でも存じております。ですからお願いです、サームさま。私の生き様にもし何も恥じるところがないとお考えいただけるのであれば、どうかこの縁談はなかったことに。後生でございます、何卒…」

ソニアは深々と頭を下げた。この場で高位貴族である彼女が頭を垂れるのは本来相応しくない行動だったが、彼女の行動に迷いはなかった。
まさかこんなに幼い少女から生き様などという言葉を耳にするとは思っておらず、準備不足のサームはまるで思考が働かせられずにいた。しかし要求を反芻すれば、当初から断る予定だったものを予定通りにすればよいだけの話ということに遠回りで辿り着く。サームは彼女の申し出を快諾し、後日自分からソニアの家に使いをやることを伝えた。少女はようやくその日初めての笑顔を見せた。

わずか十数年で生き様という言葉を口にする少女との縁談を終え、また翌日からサームはいつも通りの日常に戻った。相変わらず持ち込まれる縁談は後を絶たないが、出陣だ軍議だと何とはなしに理由をつけては足を運ぶことすら避けるようになった。そうして数日のうち、ふとした時に、月並みだがソニアの見せた笑顔は綺麗だったなとサームは思い起こすのだった。月下に浮かぶ清らかな花蕾が開いたとしたらああいう風だろうか、と詩的な表現を頭に浮かばせては急いで消してを繰り返した。
すぐに断りを入れるのも角が立つだろうと、彼女の家へ使いをやるのはもう二、三日後にすることを決め、彼は王都の巡回に向かうことにした。

宮廷内を足早に過ぎるサームの耳に、宮女たちの話し声が飛び込んでくる。普段なら特に気にすることもない他愛のない噂話なのだが、何やら耳に新しい諸侯の名が聞こえたような気がしてサームは足を止めた。

「そうなの、末娘のソニアさまは貴族の殿方に見初められてお嫁に行くそうよ」
「まだ十を過ぎたばかりの御方ではなかった?幼さゆえ、縁談は全てお断りされていると聞いたわ」
「何でも諸侯の……さまがいたく懇意になさってる方のご子息らしくて…数日の上にお父上が縁談をまとめるそうよ」
「…その話、詳しくお聞かせ願えるかな。ご婦人方よ」

サームに声を掛けられた宮女たちは、やや黄色い声を上げながらも自分たちの知りうる噂話を余すことなく彼に伝える。そうして一部始終を把握したサームは急遽予定を変更し、急いで羊皮紙とペンを取って一つ書簡を書き上げると、ソニアのいる諸侯の土地へと馬を走らせた。

「お父様、私はお嫁になど行きとうありませぬ。どうか先方に断りを入れてください。私に相談もせず、縁談を決めてしまわれるだなんて、あんまりです」
「ソニア…お前は私の可愛い娘だ。だからこそ、親として最後に見てやれる面倒は、お前を良家に嫁がせることくらいなのだ。先方はお前を迎える代わりに領地の二割を差し出すと言っている。我が家の繁栄のためにも、どうか言うことを聞いておくれ」
「そんなの……私には、関係ありません!お父様!」

彼女の悲痛な叫びも土地に目が眩んだ父親には届かず、ソニアは侍女によって自身の部屋へと半ば強引に連れて行かれてしまった。

「どの道、万騎長のサーム殿からは近日中に断りの報せが入るであろう。本来であれば礼儀が立たぬが、少し公表の日付をずらせば大した問題には…」
「領主様。王都より万騎長サーム様とその従者数名が参られた模様です!」
「な、何だと?」

諸侯の兵によって客間に通されたサームは内に燃えるものを感じていた。彼は行動を起こすのに人よりも熟考し、最善の策を取ると思われがちだが、意外にもその行動原理の大きいところは彼自身の感情であった。感情に従った結果が戦場では思慮深いと捉えられることにサーム自身が面白さを感じている節もあるのだが、やはりそれを知るのは気の置けない仲間のみだった。随分と待たされてようやく部屋の扉が開くと、額に浮かぶ汗を隠せぬままのソニアの父親が現れた。

「これはこれはサーム殿、本日はご足労頂き光栄にございます」
「用件はお分かりでしょうから、そのような御託は不要です。書簡を持ってまいりましたのでお受け取りください」

懐から取り出した書簡を受け取り、その中身を見た瞬間にソニアの父親の表情が見事なほど蒼くなっていくのを、サームは冷たい目線で見守った。彼の渡した書簡には、ソニアとの縁談を受けるという簡潔な言葉だけが記されていたのだが、かえってそれが衝撃を大きくしたらしい。

「急ぎ我が妻としてソニア殿を迎えたい。よもや私からの返事も待たず、他の諸侯からの縁談をお受けしようなどということは……ございますまいな?」

サームの戦場でしか見せぬような凄味に耐えきれず、彼女の父親はその場で泡を吹いて倒れた。卒倒した様子を見てサームが人の悪い笑みを浮かべていたというのは、その場にいた彼の付き人数人と、突然の大きな音に驚いて部屋から飛び出してきたソニアしか知らぬことであった。

しつこいようだが、サームは誰にもその名を恥じるところのない万騎長である。彼が縁談を受けるとなればあれよあれよと準備は進み、ソニアは数日後には王都の土を踏んでいた。目まぐるしく進んでいく目の前の出来事が現実かどうかの判断もつかないような彼女は、サームの屋敷に足を踏み入れ「ここがそなたの部屋だ」と案内された時、何日かぶりにようやく我を取り戻したようだった。意識を取り戻すに至るまでに随分時間が掛かったことに、何より彼女自身が驚いている様子であった。

「さ、サームさま!!どういうことなのでしょう、私は縁談はお断りしてくださいとお願い申したはずです」
「そうだな…確かに、ソニア殿。貴女からは縁談を破棄してほしいと承りました」
「では!どうして私はこんなところに……」

すっかり混乱してしまっている彼女の表情は喜びとは程遠いものの、サームにとっては如何にも少女らしい百面相に見え、思わず彼は微笑んだ。彼女が他の諸侯と婚姻を交わすと聞いて、己の気持ちのざわつきに居ても立っても居られず迎えにいった、というのが本当なのであるが、サームは自身の行動に見ず知らずの諸侯が起因していると思われるのを嫌った。

「このサーム。あの夜、貴女が見せた笑顔にどうしようもなく惹かれ…月並みな言葉で申し上げることのお許しをいただるのであれば、一目惚れいたしました。誰もが我先にと手を伸ばして手折ろうとするであろうその花を、蕾のうちにとらえてしまいたかったのです」

意味の分かったソニアの赤く染まった顔を見たとて手加減をしてやることもせず、勝手を許してほしいとそう言って、彼は目の前の扉を開けた。ソニアの部屋にすると決めた元々書斎であったその部屋は、溢れんばかりの医学書が壁一面の本棚を埋め尽くしているのだった。

「願わくはこの先、ここを土壌としてそなたが健やかに学を進め、立派な女性になってゆく様を俺に見させてくれまいか、ソニアよ。俺は他の万騎長と較べて防衛にしか脳のない男だが、それゆえ、そなたの夢を守るくらいは難のない男でもあると。そう自負している」

一目惚れをしたというのも方便なわけではなかった。しかしサームはそれと同時に、ソニアがこれから自分のやりたいことに熱中できる環境でどんな花を咲かせるのかが気になって仕方なかったのだ。急ごしらえで書斎に寝台を運び込んだだけの部屋であったが、彼女にとっては何よりの宝の山のように見えたようだ。その両の瞳に太陽の光と水をたっぷりと受けたような表情に、サームは自身の深くにも何かが満たされていくのを感じた。

ソニアは最初、王都で過ごす日々のほとんどをその部屋で過ごしていた。彼女の姿はあまり白日の下に晒されなかったため、王宮ではサームが世帯を持ったという話がより一層の疾走感を持って駆け回った。彼はしばらくの間、行く先々で祝の言葉をもらい、時には妻との年齢差から幼女趣味だったかと揶揄られることもあった。しかしながらサームが日が経つごとに、ソニアのことを内外問わず立派な妻として、そして大変に可愛げのある一人の女性として扱ったので、彼ら夫婦の年齢差について何かを言おうという輩は間もなくして姿を見せなくなっていった。

更にしばらくすると、サームの妻としてすくすくと成長して行くソニアは街に出るようになった。そうして、ようやく歩き慣れた城下町に出るたびに耳にする、一部誇大表現の混じった夫の噂をおもしろおかしく受け取るようになっていた。家に帰ると共に食事をし、彼女がその日に聞いたサームにまつわる話を屈託なく披露するのが彼らの日常だった。

「万騎長サームさまが近付くと、蕾だった花が見事に咲いてしまうというお噂を耳にしましたよ」
「尾ひれのついた噂話だ。本当にそんなことがあるなどと、信じてはいまいな」
「確かに地上にそんなことはあるものかと半信半疑でしたが…私の心の蕾は、確かにあなたの傍で綻んだように存じますゆえ、根も葉もない話という訳でもないのではないかしら」

くすくすと楽しげに微笑んだ彼女の顔が、いつのまにか蕾などと呼べないほどの魅力を伴っているのに気付いて、サームは一瞬面食らった。しかし彼自身もすぐに柔和な笑みを浮かべ、より一層力を尽くしてこの笑顔を守っていこうと心に決めるのであった。

End.