Lesson 4「殿下の犬」

「あっ!ギーヴさま!」
「ぬ、ギーヴではないか」

まさかセットでその名を呼ばれる日が来るとは想像もしなかった組み合わせが目に入ってきたことに、ギーヴは驚いた。鳩が豆鉄砲を、というよりは鳩が豆だと思って食べた種が腹から芽を出した、という方が正しいか。とにかくまともに驚いていてよいのか分からぬ状況だった。

王太子府のほど近く、港へ抜ける大きな道。その角でギーヴからすれば見知った二人は何やら話し込んでいた。今宵も街に繰り出すか、と何とはなしに通りに繰り出したギーヴの姿は人間離れした視力を持つダリューンと、まだ少女というよりどこか奔放で野生じみているルチアにかなり遠くの位置から見つかった。そして今に至る。

「ここで何をしていたんだ?」
「どうやらこの少女が店を探しておるのだが、それが見つからず俺に訊ねたいようなのだ」
「ルチア、お前何を探している」
「エットですね。大きくて、熱い釜の出てきて、こんなしてこう…溶かしてする、アー」

ギーヴは拙いルチアの説明をなるほどと聞いてやる。その横にいる黒衣の騎士は、どうやら二人が知り合いらしいことをまずは驚きつつ眺め、挙句ギーヴが「そうか、鋳物屋か」と呟いて少女の目当ての店を言い当てたことには更に驚愕した。飛び跳ねる少女の髪の毛もまた、楽しげに跳ねている。

「知り合いだったとは驚いたな」
「こう見えてなかなかに腕のいい金細工職人でな。俺はギランにいる間、こいつに出資しておるのさ」
「ギーヴさま、この人お知り合いなのですか?」
「そうだな。この間いた俺の主に仕えるもの同士だ。最も俺とは比べ物にならんくらい忠誠心をお持ちの崇高な騎士殿だが」
「そういう言い方はよさんか。量の問題ではなかろう」
「チュウセイ…?」
「そうだ。ほら先日話したであろう、黒くて大きいーーー」

そう言いかけてギーヴは己の死期を悟った。覚えたての言葉を無邪気に話すルチアは、ただ単に言葉に不慣れなだけで決して覚えが悪いわけではない。

「黒いの?デンカのイヌーですか?」

ギーヴの短い悲鳴が聞こえたと思うと同時に、その後に起こることが予測できたルチアは自分の顔面を両手で覆った。形だけであって彼女の細い指と指の隙間からはパトロンである彼の醜態は丸見えだったのだが。

俺はともかく、ルチアが精神的に傷を負っていたらどうするんだ、とその後の道すがらギーヴは呟いていた。いつも自分のことを過保護だと囃し立てるギーヴが異国の少女に対してややその傾向の芽を見せ始めているのにダリューンはいち早く気付いたが、何分二人の関係性が掴みきれないためまだ揶揄するのは止しておいた。
三人はルチアの目的地が分かった後、伴だってそこに向かうことになった。ギーヴがルチアに「何をしに行くのか」と訪問の目的を訊ねた際、加工に使う金属を受け取りに行くと答えたためだ。結構な重さがあることを知っていたギーヴはダリューンにも詫びとして荷物を持つよう提案した。詫びがいるのはどっちだと黒衣の騎士は思わないわけではなかったが、同行が決まる前から無邪気に喜ぶルチアの様子を見ると断るわけにもいかなくなった。

「そうだ。ダリューン卿、ルチアに聞かせるような冒険譚などはないか?」
「いきなりに言われてもぱっと出てくるものではない。それに俺はナルサスのように人に語りを聞かせるのは苦手でな」
「こいつはただの少女に見えるが、我らが主君からも言葉を教わるほどの強者だぞ。そうだ、神前決闘のことなど話してはどうか」
「神前決闘!聴きたいです!シンドゥラのお話です」
「そうか、お前そういえばシンドゥラから来たんだったな」
「ルチアと申したな。では…少し話をしようか」

そう言ってダリューンは、シンドゥラの国都ウライユールで自らが代理人となって闘った神前決闘の話をした。祖国の話とあってルチアは興味深げに聞き、最後にダリューンがバハードゥルを倒したと言う結末に関してはまるで自分がその場にいたかのように熱狂した様子で歓声を上げてみせた。

「ダリューンさま!すごいですねー、強いのですねー。ウライユールは暑かったですか?」
「我々パルス人には少々こたえる暑さだったな。それに食事も辛いものばかりで…」
「シンドゥラのご飯、食べたいです。ルチアも、オカーサン作ってくれましたよ。とっても辛くておいしいご飯、みんなで食べて楽しかったです」
「ルチア、おぬしは祖国に帰りたいとは思わぬのか。シンドゥラは今、王位継承争いも荒方だが片付き、民は国の発展に努めているところだ」
「帰りたくないわけじゃないです。でもルチア、カゾクと一緒にシンドゥラから逃げてきたですよ。戻るところ、シンドゥラにありません。ギランは海賊いたけど今は平和ですからここの方がよいと思います。ダリューンさまも、ギランの街、どうですか?」
「まあ、シンドゥラに比べたら飯は美味いし良いかも知れぬな」

どうですか、というざっくりとしたルチアの勧め方に苦笑しつつダリューンはそう答えた。相変わらずルチアの口から端的に語られる言葉には彼女の影のある生い立ちが含まれていたが、ここの方が良いと語る幼い表情の明るさからか以前よりもあっけらかんとした印象を与えるようになっていた。ルチアはギランで過ごすうち、多少なりとも固定の客や商人仲間が出来て寂しさが紛れたのかもしれない。ギーヴは密かにそんなことを考えながら、彼女の目当ての鋳物屋がもうすぐ目の前に迫っていることを認めた。

「おいルチア、鋳物屋はあれだ。場所を覚えておけよ」
「はい!ギーヴさま、いつもありがとうございますですよ」
「ギーヴは存外、面倒見がいいな」
「ダリューン卿。俺にも並々ならぬ事情があってのことでなあ」

やれやれと肩をすくめてみせるギーヴであったが、今やすっかりギランの街の中でルチアを見かけると放っておけなくなっているのは事実であった。どうにも自分に懐いてくるこの少女を冷たくあしらう気にもなれなかったし、何より無邪気さの余る言動も、ギーヴが少しずつ教えた言葉を使っている場面を見てしまうとどこかいじらしいものに感じられてしまうのだ。絆されている、という自覚がある分マシだというのはギーヴなりの主張であった。

結局ギーヴもダリューンも鋳物屋からルチアの店まで金属を運び込み、せっかくだから、とルチアのよく分からない意見で二人は店番まで手伝うことになってしまった。ギーヴはともかく、あのダリューンが店の一角に座っているというだけで周りからは何やらあったのかという視線が降り注がないはずもない。ギランの街の人の中では、天下無双の強さを誇る王太子付きの騎士として既に顔も名も知れているからだ。

「ダリューン卿、少しばかりルチアの店の安全に貢献していかぬか」
「どういうことだ」
「いやなに。こいつはパルス語に不慣れで、この年だろう。どうにも舐めてかかってくる商人連中がいてな」
「…なるほど。して、俺は何をすればいい。店の前で剣でも構えておればいいのか」
「そんなことをしては客も寄り付かなくなる。この札に俺の言うとおり書いてくれるだけでいい」

ギーヴは店の奥から手頃な木の札を取り出すと、そこに「アルスラーン殿下付の戦士の中の戦士 パルス万騎長ダリューン巡回店」と簡潔に書かせる。ルチアはダリューンが文字を書く様子を、その瞳をらんらんと輝かせながら感心した様子で眺めていた。

「ダリューンさま、文字がお上手ですねー」
「む、そうか。お前の店に飾るものらしいから、丁寧に書いたつもりではあるが」
「堂々として、リッパな文字と思います。ルチアも、少しだけはパルスの文字書きますけど、とってもはキレイに書けませんですから、嬉しいですよ!」

満面の笑みでそう言ってのけるルチアは、ダリューンから受け取った札を早速自分の店の看板にぶら下げる形で飾るようだった。ギーヴの作った店の看板から下がる木の札が、時折揺れて柱に当たっては独特な音を立てている。屈託なく「できました!」と報告するルチアの表情に、思わずダリューンの口許にも笑みが溢れていた。

「なんとなく俺が世話を焼いている理由が分かってもらえたか」
「ああ。殿下が言葉を教えて差し上げたというのも、大層微笑ましい様子であっただろうな」
「ギーヴさま、これはなんと書いてあるですか?アル…?デンカのイヌーダリューンさまと書いてありますか?」
「馬鹿、ルチアそれはもういいのだ!ちょっと待てダリューン卿、だから待て!落ち着くんだ!」

結局その日二度目の鉄槌がギーヴに下ったところで、ルチアは相変わらず指の隙間からその様子を見てギーヴのことを心配してみるかと思いきや、何やら「あちゃー」という表情とともに悪戯げな笑みを浮かべていた。ダリューンの前で「殿下の犬」という言葉を口にするとギーヴにそういう結末を招くことを学んでしまったようである。
あまり知恵をつけさせすぎるのも問題だな、とギーヴは改めて物事を教えることのさじ加減というものは難しいなと痛感するのだった。

End