宮女のお仕事 2

「陛下、この間の小説はお読みになられましたか?」
「あっという間に読んでしまった。おぬしの勧めてくれる本はいつも面白い」

その日の夜、私は陛下に何度目かの夜伽に呼ばれ、その傍らにいた。夜伽といっても本来の意味は成さず、相変わらず自分の職務の話をしたり、教え子の話をしたり、陛下の他愛もない質問に答えたりといった具合ではあるが。

「しかし最後に主人公とその恋人は何故死んでしまったのだ…彼らがその結末を選んだ理由が、私には分からなかった」

ここに来るたび、私は陛下に「何か面白い話を教えてくれ」と言われ、城下町で流行りの小話などを勧めていた。本来陛下のような方が読むことを前提に書かれてはいないが、民衆の間で好んで読まれる話を読むことも王の務めの一つ、と陛下が力強くそう仰ったので私には要望に応えるほかなかった。
陛下が読んだというのは身分差のある男女の恋愛を描いた話だった。恋も愛も知らぬという陛下の足がかりになればと勧めたものである。

「陛下、あくまで私の解釈にはなりますが、あの二人の愛は死によって永遠となったのです」
「永遠?」
「はい。死が二人を分かつのではなくですね。あの物語は人々に言わせれば悲恋だということですが、私はそれ以上に純愛なのだと思っています」
「しかし生きていれば、お互いの身分を超えて愛し合える未来があったかもしれぬ」
「大衆小説なのでそこはロマンというものもあるのですが…」

『身分差』という言葉を真剣に考え出してしまう陛下の思考を呼び戻そうと、私はもう一度その話に描かれる恋というものについて話し始めた。

「恋というものは、自分以外の誰かを大切に思う、尊い気持ちから始まります。しかし人によっては、それが自分の全て以上に感じられてしまって、行き過ぎてしまうこともよくあります」
「大切に思うとは…私が臣下の者たちや民を思うのとは、やはり違うのだろうか」
「そうですね。陛下が抱くそのお気持ちも確かに相手を大切に思うものに違いないとは存じます。ただ、恋はもう少し、自分勝手で臆病で、複雑な感情かもしれません」
「おぬしは恋をしたことは?」
「…こ、ここでそれを訊きますか。陛下」

一人の宮女に過ぎない私が、国の主である陛下に自分の恋愛経験などを告げていいのかは正直分からない。しかしこの澄んだ星空のような瞳と向き合っていると、どんなことでも何とか答えて差し上げたいと自然と思わされる。アルスラーン陛下が本当に、立派な陛下である証拠なのかもしれない。

「まあ、人並みに…です」
「どうやって始まって、どうやって終わるのだ?」
「言葉で説明するのは難しいですね。気付いたら始まっているものですし、終わった瞬間はあっても、終わる理由は人の数だけございます」
「いつか私にも来るのだろうか。永遠に続いてほしいと思うような、恋というものが」

ぼんやりと空を眺めるように呟かれたその言葉を、その辺りの女性に投げかければ恋が始まりそうだ、と私は思う。それほどまでに憂いを帯びた瞳の陛下には惹きつけられるものがある。この王に好いた相手ができないのは、ただ単に実践不足なだけではないだろうか。
私は偶然だとしても夜伽役として選ばれたのだ。せめて果たせる役目があるとすればそれは陛下に本物の恋を見つける手助けをして差し上げることなのかもしれない。

私は勇気を出して自分の腕を伸ばし、陛下の白銀の御髪に指を触れさせた。この世のものとは思えぬほどに滑らかなその髪は、少し触れるだけでも極上の香りを漂わせる。一体、何を食べたらこんなに綺麗になれるのだろうか。王族の生活なんて知ったところでしょうのない私だが、それでも今少し、陛下のことを知りたい気持ちに駆られた。

「陛下は、お好きな食べ物はありますか?」
「突然だな。好きな食べ物…うーん、そうだな…。一つでないといけないだろうか」
「ええ。一番お好きなものが知りとうございます」
「実は……その、旅をしている最中に食べた、エラムの料理が好きなのだ」

誰にも秘密だぞ、と笑った顔はやはり悪戯っぽい少年の笑みであったが、そこには何故か照れが混じっていた。エラムさまというのは確か陛下の近侍をしている青年の名で、パルスの十六翼将にも名を連ねている。ルシタニアに奪われたこの王都を取り戻すための旅に同行していたことは私でも知っていた。

「どうして秘密にするのですか」
「そんなことを言ったら、エラムはきっと怒るであろう。『陛下は一国の主なんですから、もっと立派なものをお好きになってください!』とな」

やや声真似をして話す陛下が本当に楽しそうなので、私は釣られて笑ってしまった。それに応じるように陛下も笑ってくださったので、つい嬉しくなる。

「それは本心でしょうか。エラムさまは陛下の…よき理解者なのではないですか。案外、照れ隠しかもしれませぬ」
「本当か?今度、本人に言ってみようかな…」

喜んでくれるのであれば多少怒られたとしても口にしてみたい、と言う陛下。そういえばエラムさまは陛下よりお一つ年が下で、旅をしていた中では年齢も近い。もしかすると表面上は臣下としているけれど、友人のような関係性なのかもしれない。

「陛下、エラムさまへのそのお気持ちはどうでしょう。恋とは似つかぬものですか?」
「え、エラムは男だぞ」
「例えばの話です。エラムさまが女性であったらいかがですか」
「エラムが女性だとしたら…うーん」

顔をしかめたり、口をもごもごさせながら陛下は一生懸命にお考えになった。もしもの話にそんなに真剣になられるとは思わず、私はその表情が目まぐるしく変わるのを一瞬も逃さず見つめていた。

「エラムは料理も上手いし、気遣いもできる。あと剣も弓も達者だ。そして…私にとってはなくてはならない存在なのだ。そう思うと、性別など些細なことかもしれぬ」

なるほど陛下の中では男女という性別の違いなど些細なことに過ぎないのか、と私は感心するしかなかった。全人類が好意の対象になってしまいそうなその寛容さは、王には相応しいが恋をするには些か障害となりうるだろう。逆に言えばどんな女性だったとしても、陛下は相手を尊重し、大切にできる御方だとも感じる。

例えそれが自分でも?と一瞬疑問が浮かぶが、私はそれを即座に頭の中から追い出した。まさか陛下の目の前で、そんな不埒なことを考えていいはずがない。

「陛下の周りにはエラムさま以外にも素晴らしい方々が集っているはずです。その縁の中からいずれ、恋というものも自然に見つかりましょう」

そうお伝えすれば陛下は満足そうに瞳を閉じた。目の前の寛大な王が、いずれ一人の女性に心を奪われてしまう日が来るのが待ち遠しかった。それは幸せな気持ちで彼を満たすだろう。私はそんな遠くもない未来のことを描きながら、今宵は少しだけ、陛下の体温を側に感じながら眠りについていたいと思った。

End.