宮女のお仕事

「アルスラーン国王陛下、参りました」
「ああ、入ってくれ」

ありとあらゆる装飾が施され、高価な絹の国製の天蓋のついたベッドの中から、凛とした声が聴こえる。入ってくれと言う言葉に、自分がどこで何をしているのかが全く分からなくなるほど私は混乱していた。そう、国王陛下がベッドの中から私にそう声を掛けているのだ。

話は数日ほど前に遡る。私は宮廷でアルスラーン国王陛下にお仕えしながら、文官や戦士たちのご子息に幼少期の学を教える仕事をしている、ごくごく普通の宮女だ。国王陛下にお仕えしているなどと言っても、そのお姿を目にするのは城内で一瞬すれ違うとか、大きな式典のときくらいで、月の光のような銀糸の髪をしているとか、晴れ渡った夜空のような瞳をしているとか、国王陛下に関して言えば街の娘が知っているような月並みなことしか知らないのであった。

元々子供が好きで、それでいて自分には知識だけはあったので、こうして宮女として登用されることになったときには、王宮のきらびやかさなどではなくただ純粋にその仕事内容に満足をしていた。

そんな私の元へ、ある日宰相様から一通の封書が届いた。ちなみに私は宰相様のことも国王陛下と同じくらいにあまり存じていない。ああいう人たちは雲の上の存在で、私のようなただの宮女が関わることなど、恐らく人生に一度もないだろう。そう思っていたところに届いた封書は、開けるまでに随分悩み、小一時間経ってようやく開封できた。

「貴殿をアルスラーン国王陛下の、夜伽役として任命する」

声に出して読んで見ても、そこに書いてある文字はおおよそ私の頭で処理仕切れないものだった。一瞬誰かのいたずらか何かの間違いかと思って隅々まで読んだけれど、どう見ても私の名前が書かれているし、宰相と国王陛下の直筆サインまでしっかりと入っている。嘘などではない。古典的に私は自分の頬を抓ったが、痛かった。

そういうわけで、今私は国王陛下の寝室に足を踏み入れ、緊張のあまり心臓が胸から飛び出しそうな心地になっている。私をここまで連れてきたシンドゥラ人の護衛らしき人は、アルスラーン陛下に言われてさっさと部屋を出て行ってしまった。こういうときは護衛が部屋にいるものじゃないの?いや、誰かに見張られながら夜伽だなんて私にはハードルが高すぎるけれども。

そんなくだらないことを考えているうち、なかなか入ってこない私に痺れを切らしたのか、幾重にも織り模様が入った天蓋をアルスラーン陛下の指が持ち上げた。そうして私の姿が見えるまで布を上げると、陛下はどこか緊張したような面持ちでこちらに微笑んだ。

「陛下、申し訳ございません!私が参りますので、どうかお戻りください」
「ああいや、情けないことにどうにも緊張してしまってな。おぬしの顔を見れば少しは楽になるかと思って覗いたのだ。気にしないでくれ」

ああ、確かに晴れ渡った夜空のような瞳だ、とその時私は思った。優しげに細められた瞳、絹のようにしなやかな銀糸の御髪、そして精悍で理知的なお顔立ち。この御方がパルス国を背負っていると言えば、おおよそ誰もが頭を垂れるであろう威厳と慈愛に溢れるお姿。

「突然呼び立てて、すまなかったな。そろそろ世継ぎを考えねばならんとどうしても周りが騒ぎ立てて、私のところに何百人もの女性の名が連なった書面を持ってきたのだ」
「へ、陛下はその中から私を選んでくださったのですか?」
「そういうことになるな。実を言うと…まぁ、隠し立てしても仕方がない。その紙を壁に貼って、遠くから矢を射ったら、おぬしの名前に刺さったのだ」

申し訳なさそうに笑う陛下の姿を見て、私も内心そうだとは思っていたものの、その選び方がまるで子供のようで思わず笑みが溢れた。

「しかし私はまだおぬしのことも、宮廷で何をしているかくらいのことしか知らぬ。恋や愛というものは、実のところよく分からぬ。本当であれば夜伽についてはおぬしに断りを入れようと考えていたのだ」

陛下はご立派に見えても、まだ御即位されて一年にも満たないのだ。どちらかと言えば青年というより少年に近い印象を受けるお方だった。

「しかし宰相がそれをどうにも許さなくてな…。ここに来たからには、おぬしとて私の夜伽役を全うせねば非難されてしまうだろう」
「はい。宰相様から任命されていますから、それに背けば私は謀反者ということになってしまいます。不束かですが、何卒お役目を果たせるよう努めますので、」
「そうだな。では、こちらに来て寝てもらってもいいだろうか」

陛下は人差し指を口の前に立てて、私を天蓋の中に招き入れた。私が緊張して無駄なことを口走るあまり、もう早く済ませて帰してしまおうと思われたのかもしれない。しかし陛下から言われた通りにその大きなベッドの真ん中に横たわると、そこに充満するこの世のものとは思えないような良い香りに私の身体は硬直し切ってしまった。
指というのは、首というのは、どう動かすのかと四苦八苦していると、私のすぐ横に陛下がその身体を横たえたようで、右側に大きく沈み込む感触を覚えた。そして陛下は私の耳元で、小さく囁いてみせる。

「すまぬ、外にいる護衛の者に会話が聞こえぬよう、近づいてくれぬか」
「は、はい…」
「ありがとう。するなと言っても難しいかもしれぬが、そう緊張せずとてよいぞ。私はそなたが来ると知って、夜伽という言葉の意味をある者に聞いたのだ。そうしたらその者は『夜に子供に話を聞かせることも、夜伽という言葉の意味だ』と教えてくれてな」
「…?」
「私はおぬしからすればまだまだ子供といってよい年齢であろう。よければ、おぬしが教えている子供たちのことなど話してはくれぬだろうか。大きな声で話せず苦労を掛けてしまうが、そのように夜伽をお願いしたい」

くすくすと笑ってみせる陛下の笑顔は、私が知っている陛下のお顔よりも遥かに幼い、悪戯を思いついた男の子のように見えた。そうすればおぬしが命に背いたことにはならぬし、私から依頼したことにすれば大丈夫だろう、と、子供の屁理屈のようなことを平然と言ってのける。

私はそんな国王陛下を目の前にしながら、なんと可愛らしいことか、と大それた感情を抱いていた。すぐ傍らで寝転んでいるこの国の主は、どうやらたかが一人の宮女のことまで気遣うような、私が想像するよりもずっと、優しく純粋な心根の持ち主のようだった。

「では、僭越ながら私が今教えている子供たちのことを、お話してもよろしいでしょうか」
「ああ。どんな話が聞けるのか、楽しみだ」

そうして私と陛下は布団を被って向かい合うと、そのまま夜中まで話し続け、どちらともなく心地良い眠りに誘われてしまったのだった。

End