サマー・レッスン 夏祭り編

 近所の神社で夏祭りがあるから行かないかという友人たちの誘いを断って、カナタは一つ隣の町の夏祭り会場に向かっていた。友人たちと楽しく過ごす夏祭りは、来年もきっとある。けれど彼女にとって今年の夏祭りは、一生に一度しかないチャンスなのだ。

「ミレイ、お待たせ」
「ちょうど今来たところ。カナタの浴衣、やっぱり似合うね」

同じく遠出に付き合っているのはクラスメイトのミレイだった。カナタはどちらかというと学校では勤勉で秀才なタイプで、かたやミレイはというとスポーツ万能で活発な娘だった。文武で言えば両極端とも言われそうな二人をつなぐのは、意中の高校教師の心を射止めるために奔走する戦友のような関係だった。

「そりゃ、自分のために仕立て直してもらったもの。似合うのは当然」

軽い笑みを浮かべてカナタはそう言った。この日のためにデパートの浴衣売り場でああでもない、こうでもないと試行錯誤を繰り返した挙句、彼女が勝負に選んだのは母から譲り受けたという白地に淡い紫陽花の模様が描かれた浴衣だった。水色や紫色の濃淡で描かれた儚げで鮮やかな花に、一箇所だけ蝶がとまっているその図柄がカナタは気に入り、祖母に頼み込んで仕立てから行ってもらったのだ。願わくば今宵ここで出会うであろう意中の男性が、自分という花にとまればいい。そう思ってのことでもあった。

「それにしても、本当にここにいたらダリューン先生たち来るの?」
「先生たち、今日はここの巡回のはずよ。あと15分くらいしたら来る」
「いつも思うけどその情報ってどこ発信?」
「ダリューン先生の手帳」

恋する乙女の前にはプライバシーなど存在しないのか。ミレイは友人の所業ながら一瞬驚いたが、カナタは平然と「やだ。ちょっとした交換条件で、見せてもらっただけだよ」と呟く。そうして彼女はいそいそと近場の屋台に行くと、氷水の中に浸かったチューハイを二本買って戻ってきた。彼女たちのお目当ての影が近付いてくるのに、いち早く気付いたミレイが声を上げる。

「あ!ダリューン先生ー!」
「ミレイ、それにカナタも。二人とも浴衣か」
「こんばんは、ダリューン先生。それに、ナルサス先生も」
「俺がまるでついでのような言い方ではないか。どちらかというとついではダリューンの方だぞ」

隣町の夏祭りまで来てしまうと、彼女たちが見かける友人の数はぐっと減った。しかしそれが二人にとっては好都合で、人混みの中でもこうして見知った顔の教師たちを見つけられるのだ。
挨拶を済ませたナルサスは、ふとカナタの手に持たれているものを見つける。その視線をしっかりと見届けたカナタはまず彼の言葉を待った。自分から言ったのでは少々わざとらしいからだ。

「カナタ、手に持っているのは酒だろう」
「そうなんです。ジュースだと思って買ってきたらアルコールで…そうだ。ちょうど二本あるし、先生たち飲みませんか?まだ冷えてますよ」
「しかしな、我々は一応巡回指導で来ておるのだ」
「でも先生たちの巡回指導ってお仕事の時間じゃないですよね。それとも、私とミレイが飲むのをそこで見ててくれるんですか?」

教師二人は顔を見合わせた。カナタの言っていることは正しいように思われるし、何より熱気の立ち込めるなか徒歩で移動してきて喉も乾いていた。チューハイの一本くらい飲んだとて大して酔うわけでもないし、祭りという雰囲気を少しばかり味わったとて問題ないだろう、と他にも脳内で様々言い訳をして二人はそれを受け取った。

「うむ、祭りを眺めながら飲む酒はうまい」
「ナルサス先生、お祭りお好きなのですか?」
「祭りが好きというより、起源だな。今日のこの祭りは何のために行われているか知っているか?ミレイ」

予定通り友人がナルサスを引きつけている間に、とカナタは友人の想い人であるダリューンの傍に寄った。二人きりになる糸口を掴むついでに、少しばかり友の恋も応援してやろうという魂胆で、彼女は静かにダリューンに呟く。

「ダリューン先生、どうですか?ミレイの浴衣。可愛いですよね」
「ああ。あいつの体型だと筒になりきれていない気もするがな」
「今日、ミレイは下着をつけてないですよ」
「何が言いたい」
「事実を言ったまでです。お尻のラインとか綺麗でしょう」

くすくすと笑いながら友人の浴衣姿を褒めるカナタは、その時既にダリューンの視線が友の腰回りに向けられているのを見てもう一つ悪戯げに笑った。ダリューンはそもそも今日、この巡回指導の当番ではなかったのだが、一人で行くのを嫌ったナルサスに『浴衣の女性は皆、下着をつけておらんのだぞ』とそそのかされてまんまとついてきたクチなのだ。
既に理性が揺らぎ始めているダリューンとミレイを二人きりにしてやろうと、カナタは祭りの起源を延々と語るナルサスに話しかけた。

「ナルサス先生、よかったら一緒にお参りにいきませんか」
「お前はつくづく真面目だな。おいダリューン、おぬしもたまにはそういう…」

神聖な気持ちに身を投じてみろ、と言い掛けてナルサスは止めた。そこに神の前で願い事を言わせるなど場違いな、悶々と己の欲求と闘っている友人の姿を認めたからであった。

あとで合流するから、とミレイはその場に残り、カナタはナルサスと二人で神社の本宮に向かった。出店屋台のないそこは、祭りの喧騒が段々と遠のいていくのと、夏の夜のじわっとした熱気に包まれ、そのまま進んだらどこか違う世界に辿り着くのではと思われる雰囲気があった。

一礼、二拝、二拍手、一拝。作法に則って二人は参拝する。賽銭の落ちていく音と、頭上の鈴の中で転がる珠の音、そして手を打つ音。目を閉じて願いを捧げるその時間は、日常から切り離されたこの場所に何より相応しいように思われた。

最後の一礼を終えたナルサスは、隣にいる少女がまだ手を合わせたままの格好でいたので、静かにその様子を見守った。淡い色どりの浴衣の襟からは、うつむき加減になった彼女の白いうなじが覗いている。綺麗にまとめられていたはずの髪が少しばかりくずれて、汗ばんだ肌に一筋、緩やかに曲線を描いていた。伏せた瞳は長い睫毛で彩られ、唇にはいつもより艶やかな紅色が引かれている。
ナルサスが見事に自分好みに咲いた花にすっかりと意識を留めかけた頃、カナタはゆっくりとその瞼を持ち上げる。彼は慌てて視線を逸した。

「お参りできてよかったです。付き合ってくださってありがとうございました」
「神社に来たのだから当然のことだが、まあ最近の祭りには薄れつつある習慣かもしれぬな」
「先生はさっき、何をお願いしたんですか?」
「俺は教師だぞ。生徒の学業成就に決まっている」

本当は何を願ったのか、ナルサスは建前だけを述べて言わなかった。そうしてカナタにも同じ問いを返すことで、自分の番は終わりだと主張する。

「カナタは何を願っていたんだ。随分熱心に手を合わせていたではないか」

境内の道を喧騒の方へ歩んでいた二人だが、カナタはそこで足を止めた。どうかしたのかと振り向いたナルサスに向けて、彼女は言い放つ。

「願っていたわけじゃなくて。今日ここで、先生と会えたことに感謝していたんです」

不意打ちの言葉にナルサスの心は突然揺れた。目の前の少女を抱きしめてやりたい、軽率にそういう気持ちが浮かばない訳ではなかったが、そこをいつも踏みとどまらせるのは彼の教師という肩書であった。

「そういうことを言うのは、別の相手にしろとあれほど」
「でも先生。嫌じゃないですよね」
「その訊き方もよせと」
「じゃあ、何も言わないから…今夜の私のこと、よく見ていてください」

浴衣姿も、この気持ちも、全部先生のためにあつらえたものだから、と彼女は加えた。ここまで少女の熱意に応えるわけにはいかぬと思っていたナルサスは、ようやくそこで諦めを覚えたようだった。頭を抱え、複雑な表情になりながらも、その期待に叶う言葉は一つということは分かっていた。

「…綺麗だ」

小さくそう呟いて、参道を歩む間だけ、とそれでもやはり言い訳をして少女の手を取った。握った手から伝わる汗と体温が、一夏の夜の思い出としていつまでも消えてくれなさそうだと感じていた。

End.


おまけのプチ・レッスン

「そうだ先生。ちょっと携帯かしてもらえませんか?家に連絡しないといけないんですけど、充電切れちゃってて…」
「ああ、いいぞ」

どうせ学校用の共有携帯だしな、とナルサスは気軽にカナタに渡してやる。しばらくして戻ってきた彼女からまたそれを受け取ると、意味深なことを呟かれた。

「ありがとうございました。ばっちりだと思います」

何のことだと思いつつナルサスは帰宅した。しかし翌日、返却のために職員室の充電器をそれに挿した瞬間。待受画面に現れた浴衣姿のカナタの写真に、一気に驚愕し顔を赤らめるのであった。

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「そういえばカナタ、ナルサス先生の待受作戦は?」
「我ながらいい出来だったと思うよ。自撮り練習した甲斐があったなあ」

おまけEnd.